Forage for food
上五島の未来を担う若きエース

上五島の生産者に会いに行く。
食材の宝庫を巡る旅 #03

文 :冨手公嘉 写真:宮下直樹

豊かな食文化とのどかな環境。そして歴史的に価値のある教会などの観光資源に恵まれた長崎県の離島、五島列島。その中でも、メトロミニッツでは上五島エリアに食材の宝庫を巡る旅と題して、豊かな食文化を担う生産者たちの現場におもむき、お話を伺ってみることにしました。今回は上五島の次世代の担い手となる、若きエースたちのお話です。

上五島の生産者③ 田本佳史さん(五島灘酒造) -芋焼酎-

自然に囲まれ、海の幸が豊富な上五島。以前この島では農業も盛んに行われていましたが、生産者の高齢化で担い手が少なくなり、畑は荒廃する一方。そんな状況を憂いていた先代社長が、農業の再興と街の活性化のために2007年に立ち上げたのが五島灘酒造です。五島生まれ五島育ちの芋焼酎を、アゴや五島うどんに並ぶ特産品に育てて欲しいという島の人々の強い期待が寄せられている酒蔵なのです。

「『人間の原点は農業である』というのが父親である先代の持論でした。会社の立ち上げと同時に、新規にサツマイモを栽培してくれる農家さんを募集し、約7万平米の耕作放棄地の開墾から始まったんです」

と話すのが、今回酒蔵を案内してくれた田本佳史さん。会社が創立して間もない頃に先代が急逝され、母親の喜美代さんに事業は引き継がれましたが、東京と福岡で建築関係の会社に勤めていた田本さんは、26歳の時に会社を辞めて3代目として島に戻ることを決心。全く違う業種へのチャレンジが始まったのでした。

「当時はまったくの素人でしたね。焼酎造りについて理解を深めるために、醸造に関する専門書や研究論文を読み漁ったり、九州の同業者を訪ねて行ってアドバイスを求めたりしました。今でもこれらの取組みは続けています」

2008年10月に記念すべき第一号の焼酎「五島灘」が誕生してから、「教会の島(いのりのしま)」、「五つ星」、「夕なぎ」と新銘柄を造ってきました。契約農家と一緒になって造った焼酎は、全国の酒屋や飲食店に続々と取引先を増やしてきました。口当たりがマイルドなので、普段焼酎を飲まない人でも飲みやすく、満足する味わい。日々その味のファンを増やしていますが、その背景には研究熱心な田本さんの性格が見え隠れします。

「他の蔵元さんに比べたら仕込みの量が断然少なくて、年間生産量は大手の1日分にも満たない。だから日々研究して良い焼酎を造っていかないといけない。芋の収穫時期の10月から11月は造りが集中する時期なので、酒蔵で寝泊まりすることもあります。仕事に打ち込めていいですけど、それが落ち着くと寂しい気持ち「造りロス」になる(笑)。それくらい芋焼酎造りが好きなんです」

と、酒造りに対する想いは本物。なんでも、100年以上前から上五島に伝わる在来種「金ぼけ」という幻のサツマイモを3年かけて探しだし、復活させたというエピソードの持ち主なのです。当初、8つしかなかった種芋を一仕込みに必要な1,600キロまで増やすのに更に3年を要したのだとか。その努力は並大抵ではないことは想像できますが、田本さんは淡々と語ります。

「多分これが好きなことじゃなかったら苦痛でしょうけど、焼酎造りが楽しくて仕方ないんですよね。美味しいのはもちろん、上五島らしい焼酎、五島灘酒造にしか造れない焼酎はどうやったら生み出せるのかをずっと考えていたある時、芋の選別作業に来ていたおばあさんから金ぼけの話をたまたま聞いて、これだ!と思ったんです」

先代の『街の活性化のために何かをしたい』という想いは、田本さんにも自然と受け継がれているようです。その行動力は島の人々から、次の世代を纏めるリーダーという呼び声もあるほど。これからの展望についても語ってくれました。

「島内の契約農家は減ってきています。安定的に芋焼酎を造っていくためにも、自社でサツマイモを栽培できる体制を作っていきたいですね。それに、まだまだ学ぶことがたくさんあるので、お酒のこと、農業のこと、もっと研究を続けていきたいですね」

研究熱心な田本さんのお話はとても興味深く、焼酎造りへの熱い情熱を感じることができました。

上五島の生産者④ 大坪良徳さん(徳丸) -マグロ養殖-

1976年にハマチ養殖業として創業された徳丸。美しい海に多様な生態系が育まれている西海国立公園に位置し、広葉樹の原始の森に囲まれた場所に生簀を設置しています。ハマチだけではなく、ブリ、ヒラマサ、マグロと、潮の流れが速い環境で育った徳丸の魚は「五島列島激流育ち」と呼ばれ、その活きの良さは格別。今回は養殖マグロの餌やりを取材させていただきました。

大きな生簀には3000-4000匹のマグロが回遊していて、そこにエサが投入されていきます。徳丸では独自の管理体制のもとエサが選ばれています。例えば、出荷前の追い込み期には、身の色が変わらず、旨味が強くなるようなエサを加えることで、味をコントロールすることができるのだそう。

お話を伺った大坪さん曰く「エサの管理はもちろんですが、生簀の環境が美味しい魚を育ててくれるんです。ここ、若松の海の特徴は、酸素がたくさん含まれているという点です。酸素が多く含まれた海水が常に魚の周囲に流れ込んでくるんです。激流でもまれた魚は運動量が豊富なため、身が引き締まっていて、筋繊維の太さが他の養殖場で育ったものとは違うんです。触った時の硬さや、脂のノリが全然違うと思いますよ」とのこと。

さらに研究機関と提携して魚の成長速度や水温等の様々な条件から魚の運動量を解析。魚の状態にあわせて必要なエサを、必要な時に必要なだけ与えるシステムが構築されているのです。しかし、魚の状態を判断する上で、最も大事なのは指の感覚なのだとか。淀みなく、魚のこと、養殖のことを語る若干28歳の大坪さんですが、なぜそこまで深い知識と、職人ならではの感覚を持っているのでしょう? 話を聞けば、築地で学んだ経験が大きいと語ってくれました。

「山口県の水産大学を卒業した後に、まずは築地市場で5年ほど働きました。そこで毎日全国から寄せられる魚を見ているうちに、言い方は変かもしれないですけど“自然と指先が肥えて”いき、魚に触れるだけでおおよその状態が分かるようになりました」

50キロ大に育ったマグロは、一匹一匹その状態を見極められ出荷されていきます。これだけプロの手がかかっているのに、養殖の魚は評価が低いと語ります。

「水産業界では天然物こそ良くて、養殖物は軽んじられる傾向があるように思うんです。でも日本のマグロが安定的に供給できるのは、養殖の技術があるからこそ。例えば、天然の牛は臭くて食べられないから、家畜として育てますよね。どうして魚だけは養殖物が認められなくて、天然物が重宝されるのかずっと疑問に思っているんです。そういう状況を打破していきたいと思っています」

まだ20代でありながら、プロフェッショナルとして日々魚と向き合うその姿勢と、業界のこれからを考えるその口ぶりから、この仕事を背負っていく責任感を感じることができました。

上五島の生産者⑤ 川口秀太さん(矢堅目の塩本舗) -塩-

上五島名物の五島手延うどんや水産加工品と並んで親しまれているのが、矢堅目の塩。眼前に海を臨み、その海水を使って日々塩作りと向き合っているのが矢堅目の塩本舗の川口秀太さんです。

矢堅目の塩は昔ながらの伝統的な平釜製法で作られています。五島近海の海水100%を原料とし、直火焚きの釜で一昼夜かけて海水を濃縮し、蒸発させながら結晶にしていく。その後さらに一晩寝かせて苦みを分離させ、粒子の選別と乾燥まで行って、ようやく海のミネラルが豊富に含まれた海水塩が出来上がります。

海水の汲み上げから完成までにかかる時間はおよそ10日間。薪の火力で焚き上げ、手間暇をかけて結晶化された塩は、旨味・まろ味があり、余韻が残らないはっきりとした塩味で、料理のアクセントに最適。今回は工房を見学させてもらい、川口さんと奥さんの踊さんと一緒に、塩作りの裏側についてお話しを伺いました。

川口さんが家業である塩作りを継ぐ決意をしたのは25歳になった時だそう。

「高校進学を機に島を離れて九州の大学に進学し、卒業後ひとまず実家に帰ってきたんです。当時は祖父が小さな小屋で塩とにがりを作っていて、今みたいに工房に観光バスが来ることもありませんでした。祖父は明け方4時くらいから工房で作業をしていて、僕が様子を見に行く朝8時頃には、既にもうもうと煙が上がっていました。そんな風に毎日仕事に勤しむ祖父を見て、自ずと仕事を手伝うようになりました。祖父は職人気質で、塩作りに関することを具体的に教えてくれることはなかったんですけど(笑)、少しずつ塩作りの面白さを感じるようになりました」

月日は流れ、29歳の時に川口さんは株式会社やがためを設立。工房の隣に土産品店を併設し、上五島の特産品を販売しながら、日夜塩作りに邁進するようになっていきました。言葉少なな祖父の背中から学んだことは、塩と向き合う姿勢だったのかもしれません。熱心に塩作りの工程を教えてくれる口ぶりからは、確かな自信と想いが感じられました。しかし、川口さんからは意外なエピソードが。

「最初は塩の製造に熱心だったんですが、いつしか販売の方だけに力を入れるようになっていました。品質向上はそっちのけで、売上や客数などの数字ばかり気にしていた時期がありました。塩作りに対してどこか自信過剰になっていたんだと思います。それを妻に見抜かれて…」

と話せば奥さんも言葉を続けます。

「ちょうど私が塩作りに熱中し始めた時期だったので、旦那抜きで製造してみたんです。すると、薪のくべ方や火加減、作り手の気持ち一つで味が変わることが分かりました。だからこそ、社長には塩作りへの熱い思いを持ち続けてほしいと思い、再び現場のことを一緒にやるようになったんです」

「妻の言葉を受けて、もう一度気持ちが奮い立ちました。経営者でありながらも、職人でなければならないと思うようになりました。“矢堅目の塩らしさ”を追求しながら、新しい事にもチャレンジしたいと考えています」

今年7月には夫婦で『ジュニアソルトコーディネーター』の資格取得にチャレンジし、二人とも見事に合格。塩のスペシャリストとして、五島列島の塩の魅力を全国に伝えていくことが自分の役目なんだと、時折冗談を交えながらにこやかに話し微笑む川口さんの目には、力強さがありました。

「矢堅目の塩が商品の形になるまでに10日かかっているんです。お客様一人ひとりにその理由を丁寧にお伝えし、市販されている塩との違いをいかに感じてもらうかが課題ですね。祖父の代から続く伝統を守りつつ、自分達らしさをプラスして、新しい商品の開発を続けていきたいと思います」

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更新: 2017年12月14日

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