日本の中華料理 # 5

日本の中華料理のあゆみ
巨匠たちの愛した店

私たちは子どもの頃から、家庭の中で、街の中で、ごく当たり前のように中華料理を食べてきました。しかし、元はといえば中国の料理。日本人と中華料理は、一体いつからこんなにも深いお付き合いを始めたのでしょうか?ここでは、かの作家やあの漫画家たちが行きつけにしていた名店とともに、日本の中華料理の時代を振り返ります。

江戸から明治にかけて 日本の中華料理の夜明け

日本で初めてラーメンを食べたのは水戸光圀であるという定説がありますが、日本に初めて中国料理が入ってきたのは江戸時代初期の長崎だと言われています。当時、長崎の出島にはポルトガル人や中国人が多く滞在し、1689(元禄2)年には中国人居住区「唐人屋敷」が設けられました。そこに住んでいたのは主に広東省や福建省出身の貿易商などの商人たち。彼らは料理人も引き連れてやってきて、やがて長崎には華僑の人たち向けの中国料理店も誕生していったそうです。そして1867(慶應3)年、唐人屋敷にあった店が一般客を相手に料理を提供し始めたのが、日本初の中国料理店とされています。
1871(明治4)年、日清修好条規締結後には、長崎や横浜などに「南京街」という中国人居住区が生まれました(現・中華街)。1872(明治5)年、横浜の南京街に暮らした中国人は963名、中国料理店は130軒(「横浜市史稿」より)。その中国料理店とは、日清修好条規の後、商人の家に雇われていた使用人や料理人が独立して生まれた、中国人向けの店がほとんどだったようです。しかし、1894(明治27)年、日清戦争が始まると日本から中国人が激減。そのため中国料理店も日本人向けへとシフトしていくようになりました。さらに、横浜の南京町が“料理の街”に進化したのは、関東大震災後。震災により、大きな貿易商たちは阪神方面へ移動してしまったため、料理店は日本人を相手にし、日本人好みの味付けになっていったそうです。

明治後期は、日本の中華料理の転換期。
日清、日露戦争で勝利したことも、中華料理が発展した理由の1つでもありました。日本が強国になったのに対し、国際的に遅れを取り、弱体化していた中国(清)では、洋務運動(西洋近代文明の科学技術を導入し、国力増強を目指した)が起き、日本のような立憲君主制を手本にしようと考えた国が留学生を支援しました。海外留学して得た学位を科挙試験に使えるようにし、やがて官途に就くような優秀な留学生が大勢日本へやってきたのです。
「留学生が来て、街に本格的な中国料理の店が増えたおかげで、牛肉に比べて普及が遅れていた豚肉が広く使われるようになったこともありますね。例えば、カツ丼の発祥と言われる蕎麦屋が早稲田にあるんですが、明治末期、洋食といった新しい食べ物に圧された蕎麦屋は、そばより力の付くものを提供しようとカツ丼や他人丼を生み出した。中華料理は豚肉をよく使いますが、近所の中国人が豚肉料理を食べているのを見たのがきっかけで思いついたそうです」(今さん)。

[横浜中華街]「蓬菜閣」 創業1959年

大きな餃子は皮から手作り 祖母のレシピを守り伝える

 

王さんに言わせると、餃子は、何といっても蒸し餃子と水餃子に、
「トドメをさす」ということだ。
(中略)そこには、日本に生まれ、
日本に育ってきた王さんの味覚が物をいっているわけで、
だからこそ、私たちが旨がるのだろう。
ここもまた、何を食べても旨いのだ。
醬牛肉と称する牛肉の冷製に、味つけしたキュウリをそえた一皿など、実にしゃれているし、
酸辣湯もいい。
― 池波正太郎『むかしの味』より
(新潮社)

 

作家の池波正太郎が通い、自身の著書にも記した横浜中華街の店。創業したのは、現在の3代目王肇清さんの父方の祖母で、家庭で作っていたレシピが元となっている。得意は、小麦を湯で練り、皮から手作りした餃子だ。こちらでは焼き・蒸し・水餃子などいろいろな食べ方で提供しており、ニラと絞った白菜をたっぷり入れた豚肉の餡は全て共通。ただし、水餃子の皮だけはコシを出すために水で練る。通常の2倍はある大きな餃子で、ニンニクは入らないのが特長。池波は、中でも蒸し餃子を好んだそう。神奈川の地酒「残草蓬莱」で牛スネの冷製をつまみ、餃子を食べ、酸辣湯でしめるのがお決まり。“店のことを本に書きたい”と言われるまで、店の誰も作家だとは分からなかったほど気さくな人物。王さんの母は『剣客商売』のファンで、とても喜んだそうだ。

「ほうらいかく」TEL 045・681・5514 神奈川県横浜市中区山下町189  月~金 11:00~15:00 LO/17:00~20:30 LO、土・日・祝 11:00~20:30 LO 水定休。/写真右 ラー油を加えず、胡椒で仕上げた「酸辣湯」1,000円(写真中央)。酸味のきいたスープが女性客に人気。麺を加えた「酸辣 湯麺」も1,000円。「蒸し餃子」720円はタレをつけずにそのまま頂く。現在も祖母のレシピを守っている。

Text:浅井直子、いずみかな(店舗)
Photo:今井広一、花村謙太朗
※こちらの記事は2016年6月20日発行『メトロミニッツ』No.164に掲載された情報です。

更新: 2017年6月20日

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