日本の中華料理 # 6

日本の中華料理のあゆみ
巨匠たちの愛した店

私たちは子どもの頃から、家庭の中で、街の中で、ごく当たり前のように中華料理を食べてきました。しかし、元はといえば中国の料理。日本人と中華料理は、一体いつからこんなにも深いお付き合いを始めたのでしょうか? ここでは、かの作家やあの漫画家たちが行きつけにしていた名店とともに、日本の中華料理の時代を振り返ります。

戦後から昭和にかけて 日本の中華料理が確立する

「けいらく」Tel 03・3580・1948
東京都千代田区有楽町1・2・8 慶楽ビル
11:30~21:45 LO(ランチは17:00 まで)日定休。

1906(明治39)年には、中国人留学生の多かった神保町に、寧波出身の料理人が始めた「揚子江菜館」が開店。2代目の店主の頃、1933(昭和8)年には、富士山型の冷やし中華を提供し始めます。1908(明治41)年には、横浜駅(現・桜木町駅)構内で「崎陽軒」が創業。1928(昭和3)年には、長崎出身の初代社長が「横浜にも何か名物を」と思い立ち、南京街で突き出しとして出されていたシウマイを販売することになりました。1909(明治42)年には、浅草に初のラーメン店「来々軒」がオープン。名物はラーメンとシュウマイで、多い日は1日2000人の客が訪れたと言います。
しかし、中華料理が一般により広く浸透し、家庭料理にまで入り込むように
なったのは、第二次世界大戦後のこと。
戦後の食料危機の頃、戦勝国だった中国の南京街は比較的食料が充実していたため、日本人も南京街で空腹を満たすことができたということもありました。
「実は戦前は結核が深刻な疾病で、それを予防するために、より栄養のある(そう思える)日本そばよりラーメン、和食より洋食という流れがあったんです。それに加えて戦後は圧倒的な食料不足もあり、和食にこだわらず、中華でも何でも食べるようになったんです。また、中華料理が家庭料理として食べられるようになった背景には、都市ガスが整備されたというインフラの面が大きなポイントです」。今さんいわく、ある程度、火力がないと炒め物などの中華料理は作りにくい。横浜の中華街は京浜工業地帯にあり、石炭の調達が容易だったため強い火力が手に入ったが、家庭ではそうもいかなかった。戦後、ガスコンロが普及したおかげで、家庭でも中華料理が作れるようになったのだ、と。
「加えて、メディア革命がありました。特に、NHK『きょうの料理』(1957年放送開始)に出演されていた、陳建民さんの影響は大きかった」

1953(昭和28)年、テレビの本放送の始まり

昭和30年代には様々な料理番組が始まるようになります。陳建民さんの『きょうの料理』初出演は1970(昭和42)年。以来、麻婆豆腐、回鍋肉などの中国料理を日本人向けにアレンジして紹介。するとたちまち人気となり、陳さんが生み出した味はこの後の日本の中華料理の礎となっていきます。
「高度経済成長の頃には、〝麻婆豆腐の素〞からはじまり、〝中華の素〞も発売になり、おかげで青椒肉絲も家庭で手軽で作れる料理に。それらの味は、最も基本的な〝日本の中華料理の味〞として人々の共通認識にもなりました。中華の素は、とても偉大なのです」。かくして、忙しい主婦の強い味方となり、定番の家庭料理になった中華料理。「でも、ここ20年くらいの間に、東京でも本当の四川麻婆豆腐が食べられるようになりましたね。
『重慶飯店』の麻婆豆腐など涙が出るほど美味しくて、辛みの奥に山椒の爽やかさが広がります。本格料理としての麻婆豆腐は、これまで日本人が食べてきた麻婆豆腐とは違う食べものだと考えた方が良いのかもしれません」(今さん)。

[有楽町]「慶楽」 創業1950年

帝国ホテルを抜け出して 作家がひと息つく中華料理


ある中国料理店についての雑談をしようとおもう。
このタイトルはその店の名のつもりだが、
もちろん仮名だし、場所も書かない。
(中略)
二年ほど前、一人でその店へ行き、
入口を背にしてテーブルに座り、
焼きそばを頼んで待っていた。
間もなく、超ミニスカートの薄い布地の洋服を着た若い女が、
少し離れた斜め前の席にこちらを向いて座った。
―吉行淳之介『酒場のたしなみ』
内【慶祝慶賀大飯店】より(実業之日本社)

近くに帝国ホテルがあり、作家や著名人が多く訪れる店。池波正太郎、伊集院静、吉行淳之介などが名を連ねる。中でも吉行淳之介は、1階のいつもお決まりの席に座っていたそう。おしゃべりな人ではなかったが、時折チョコレートなどを持ってきて従業員に配っていたという。そんな彼が好んで食べたのが「カキ油牛肉ヤキソバ」1,080円だ。焼いた麺の上に、餡に絡めた具をのせたオイスターソースベースのいわゆる餡かけ焼きそば。3代目區祥景さんが手早く鍋をふり、シャキッと食感を残したレタスや油通しした味付き牛肉などの具材がきちんと美味しい。麺の作り方も味付けも創業時から変わらない。
初代である祖父は、広東省順徳県の出身。日本に渡り、手軽な中華料理店があまりなかったことから、誰でも食べられるようにと店を始めたそう。炒飯に上湯をかけた「スープ炒飯」1,030円を考案するなどアイデアマンでもあった。現在、店は多くのサラリーマンで賑わう。

写真左 カキ油はオイスターソースのこと。飲んだ後の〆に食べる人も。/写真右 価格以外は創業時から変わらないメニュー表。英語表記は当時の中国系アメリカ軍人の客が訳したもの。

Text:浅井直子
Photo:今井広一
※こちらの記事は2016年6月20日発行『メトロミニッツ』No.164に掲載された情報です。

更新: 2017年6月20日

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