日本酒新時代のムーブメント

|SAKE INNOVATION[4]|
歴史上最も美味しい“COOL”なお酒「日本酒」
次の進化の芽はどこにある?

各地で巻き起こっている「SAKE INNOVATION」を追いかけるため、日本酒の進化を決定づけた要因を蔵元、酒販店、飲食店、ジャーナリストなど、様々な人の視点から読み解いていくPart2の続きの最終版Part3。日本酒年表とともにお届けします。

Photo:Yoshiharu Ota
Hair&Make:Tsuyoshi Watanabe
Model:Sundberg Naomi、KIKURI
Design:groovisions

技術革新に届け手のレベルアップ。次の進化の芽はどこにある?

酒造りに限らず、すべての産業に共通して言えることですが、④技術革新や製造設備の進歩も見逃せません。米の雑味を取り除き、よりピュアな味わいが出るよう、米を磨く精米技術は年々進化していますし、酒造りにベストな温度を維持する装置や、冷蔵技術が進み、フレッシュな状態をキープしたまま、酒販店や飲食店に届けられる流通網の発達も大きなインパクトと言えます。

さらに、近年で言えば、震災の被害を受けた蔵では、建て直しせざるを得ませんでした。再建する際には、今後の酒造りを見据えて新しい設備を投入した蔵も多々あり、東北地方を中心に更なる酒質の向上が期待できます。4つのインパクトは、ほぼ造り手と吟醸酒という新しい酒質を受け入れた飲み手についてでしたが、最後のインパクトとして⑤日本酒の届け手である、酒販店や飲食店のレベルアップも挙げるべきでしょう。

例えば、この後のページで紹介するお店、恵比寿「GEM by moto」。それは、日本酒をよりよい状態で保管するための氷温庫の導入に始まり、足繁く蔵に通い、蔵元の思いに耳を傾け、店での提供スタイル、料理とのペアリング…とその取り組みは多岐に渡ります。届け手のプロたちが、「今、最高においしくなった日本酒にとって、ふさわしいプレゼンテーションは何か?」を追求することで、日本酒に新たな価値が生まれ、飲み手の楽しみ方もまた進化するのではないでしょうか。

ここまで5つのクロニクルと5つのインパクトから眺めてきた、日本酒の進化。となると、今後もどう考えてもおいしくなる方向しか考えられないのですが、酒類ジャーナリストの松崎晴雄さんは、冷静に見ています。「30~40年前に比べて確実においしくなりましたが、今後はおいしくなるかどうかよりも、同質化をいかに避けるかがポイントになってくると思います。

売れ筋の酒質に迎合しない個性をどれだけ大事にするかに注目したいですね」。 おいしさの底上げ期が極まりつつある今、今回話を聞いた佐藤さん、高嶋さんは二人とも次のステージを見据えています。佐藤さんは酒造りの根本へ立ち返り、山廃からさらに伝統的な「生?造り」へシフト。

高嶋さんは蔵元杜氏がベストの形とは思わず、いつかは信頼できる杜氏に造りをまかせて、蔵の理念の構築に集中したいと言います。おいしい酒を造る腕と環境は整った。ここからは、「日本酒で何を伝えるのか?」を突き詰める姿勢が、結果的に酒質の向上に繋がるのではないでしょうか。

酒の「作品化」を意識した蔵元や、その姿勢に影響を受けた第4世代が、さらなる日本酒の進化を牽引する。そんな気がしてなりません。

SAKE INNOVATIONの中心地「GEM by moto」

一見、コジーな雰囲気のカフェか、ビストロか、と思うような店内。少し前の日本酒専門店のイメージとはまず第一印象が違います。そして何よりこのお店の鍵となる、日本酒をこよなく愛する店主の千葉さんの話に、2人の女性も興味津々の様子。蔵元からの指示も厚い。

新しい設備の導入も進化のきっかけに

東日本大震災で被害が出た東北地方では、歴史ある蔵を新築せざるを得ない状況に見舞われた蔵元が多数。宮城の蔵元集団「DATE SEVEN」の一員でもある「宮寒梅」(寒梅酒造)では、クラウドファンディングを活用。冷房設備を導入し、酒質のランクアップに励んでいます。

<日 本 酒 年 表>

【戦後~1960年代】造れば造っただけ日本酒が売れた時代

この当時は戦後という時代背景もあり、世の中は米不足により酒造りもままならない。そんな状況なので、元の日本酒を3倍の量にした「三増酒」というものが主流に。「悪酔いする」「ベタベタした甘さ」などマイナスな日本酒のイメージはここから。しかし、高度経済成長期に入ると、日本酒の消費量も年々増加。また、62年には酒税法が大幅改正され、日本酒の区分が特級、一級、二級に。64年には「ワンカップ大関」が発売開始される。

【1970年代】地酒ブームの到来、醸造数量がピークに

メディアに取り上げられ、地方に注目が集まりつつあった時代背景などにより地酒ブームが到来。「越野寒梅」(新潟)、「浦霞」(宮城)などが話題に。そして、73年に日本酒の醸造数量がピークを迎える。純米酒の普及を目指す「純粋日本酒協会」が発足したのもまさにこの年。78年には10月1日が「日本酒の日」に制定される。

【1980年代】吟醸酒を造る第1世代蔵元が活躍

全国新酒鑑評会で「磯自慢」など静岡県の10蔵が金賞を獲得した85年は、スター蔵第一世代の幕開け。全国初の全量純米酒蔵なども登場し、存在感のある造り手が台頭する。それに伴い、華やかでフルーティな香り=吟醸香が備わった「吟醸酒」に注目が集まる。また89年には日本酒の級別制度の廃止が決定。現在使用されている「普通酒」「特定名称酒(純米酒、吟醸酒など)」という基準に。

【1990年代】淡麗辛口ブームが起こる一方、第2世代が出現

「淡麗辛口」と言えば新潟のお酒。80年代半ば~90年代にすっきりした味わいが飲みやすいと評判になり、たちまち全国レベルの人気を獲得。その後定着し、今もよく見かける銘柄が多数。一方、「十四代」の造り手、山形・高木酒造の高木顕統さんを筆頭に蔵元杜氏の先駆けである第2世代も出現。この後、蔵よりも造り手が脚光を浴びるきっかけとなる。90年代後半には純米酒への注目が高まると同時に、お酒本来のうまみが味わえる燗酒も再熱。

【2000年代/2010年~】第3世代の浮上、世界でもファンが増加

2000年代後半に入り、第1世代、第2世代の奮闘を見つつ、彼らに憧れを抱いた第3世代が浮上。いっそう蔵元の世代交代が加速する。大学の醸造学科出身者や異業種を経て蔵に戻った20代、30代の若手後継者が、日本酒業界に新風を送り込んでいる。それに伴い蔵元同士の縦や横のつながりも活発に。また「獺祭」や「醸し人九平次」など世界市場に目を向けた蔵元の活躍などにより、海外でもSAKEファンが増加中。

Text:浅井直子

※こちらの記事は2015年10月20日発行『メトロミニッツ』No.155に掲載された情報です。

更新: 2016年11月2日

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