日本酒新時代のムーブメント

|SAKE INNOVATION[2]|
歴史上最も美味しい“COOL”なお酒「日本酒」
その進化の要因を紐解く

各地で巻き起こっている「SAKE INNOVATION」を追いかけるため、紆余曲折あった近代日本酒の歴史的変遷をざっと振り返ったPart1の続き。日本酒の進化を決定づけた要因を蔵元、酒販店、飲食店、ジャーナリストなど、様々な人の視点から読み解いていきます。

Photo:Yoshiharu Ota
Hair&Make:Tsuyoshi Watanabe
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酒米の普及と、今に続く、おいしさの価値観の変化

さて、Part1で時代の流れをざっとつかんだ後は、いよいよ日本酒の進化を決定づけたインパクトをひも解いていきます。時代によって、原料、技術、人など様々なインパクトが起こりますが、大きく5つのインパクトに整理してみます。まず、何と言っても①原料となる酒米の増産と流通が活発になったこと。

中でも、長らく入手困難だった酒米の王者「山田錦」の普及は画期的なことでした。次に、前述の日本酒クロニクルでも触れた②第1世代が手がけた「吟醸酒」の解放。今でこそ、フルーティで繊細な味わいの吟醸酒は、日本酒が楽しめる飲食店でもよく見かけるようになり、今や珍しい存在ではありませんが、実は市場に出回り始めたのは80年代初期のこと。

貴重な米を磨いて(削って)造る贅沢な酒は、日本全国の杜氏たちが日頃の腕を競い合う「全国新酒鑑評会」に出品する別格の酒でした。「審査員の目に留まるために、米を磨き、香りが高くインパクトのある酒が出品されるようになったのは、昭和の初め頃からだったようです。でも、それはあくまでも出品酒として造られた酒。吟醸酒が市場に出回ることはありませんでした」。

と、吟醸酒の来た道を振り返るのは、「真澄」(長野県・宮坂醸造)蔵元で、1981年に設立された日本吟醸酒協会現理事長の宮坂直孝さん。「しかし、目ざとい日本酒愛好家たちの間で、吟醸酒が知られる存在になると、じわじわと評判が広がりまして。ならば、市販してみようと」。華やかでフルーティな香りが特徴の吟醸酒は、当時、洋食化が進んだ飲み手の嗜好にも合い、受け入れられるようになりました。

今、注目の若手蔵元として、真っ先に名前が挙がる全量純米造りの「新政」(秋田・新政酒造)蔵元、佐藤祐輔さんは、「吟醸」に加えて、アルコールを添加しない「純米」を先人たちから引き継いだ「財産」と捉えています。「吟醸は明治に入り、先人たちが命がけで開発に取り組んできた酒です。しかし、市販化されたのは昭和に入ってから。バブル期にいったん日の目を見ましたが、収縮。

その後も、売れない時から普及に努めていた日本吟醸酒協会などによって、ようやく今にバトンが繋がったと思います」。今、好まれている酒質が生まれた背景は、吟醸酒を世に出した第1世代、その味に影響を受けた第2世代とそれに続く第3世代、そして、意志をもって吟醸酒を広めた人たちの存在抜きには語れないようです。

①最も有名な酒米、「山田錦」

酒造りに向いた米のことを「酒造好適米」と呼びますが、その代表格と言えるのが、酒造好適米の生産量の約30%を占める「山田錦」です。杜氏たちが腕を競う「全国新酒鑑評会」では、山田錦を使った酒は酒質が良く、賞を取りやすいと言われています(最近は酒造好適米の種類も増え、山田錦以外でも賞に輝くことも)。

②初心者もトライしやすい吟醸酒

華やかでフルーティな香りと繊細な味わいで、日本酒初心者にも比較的好まれやすいのが、精米歩合60%以下(米の40%を削る)の吟醸酒、純米吟醸酒です。米を削り、米に含まれているたんぱく質などを減らすことで雑味を取り除き、軽やかな味わいの酒に仕上げます。

③「十四代」は蔵元杜氏の憧れの星!

94年に発表した「十四代」で、たちまち注目を浴びるようになった、東京農業大学醸造学科出身の山形・高木酒造蔵元、髙木顕統さん。その成功は、次世代の蔵元たちの情熱を大いに刺激し、「若手蔵元杜氏で憧れない人はいない」と言われるほど大きな存在です。

「世代交代でおいしくなった」この言葉の裏側にあるもの

高品質な原料の普及、造り手と飲み手双方にとって味わいの価値観が変わった吟醸酒の解放に続くインパクトは、③若手蔵元を中心に起こっている、造り手の技術と意識のレベルアップです。

酒質が向上した理由のひとつに挙げられる世代交代ですが、どの時代にも世代交代はあったはずです。「今起きているのは、単なる世代交代ではなく、経営者の蔵元が、実際に酒造りに携わる杜氏を兼ねるようになった、つまり“蔵元杜氏”が増えたからでしょう」と口を揃えるのは、はせがわ酒店の長谷川さんと、新政の佐藤祐輔さんと同じく、クリエイティブな酒造りで知られる若手蔵元、「白隠正宗」(静岡・高嶋酒造)の高嶋一孝さんです。

まさに、若手蔵元の当事者である高嶋さんは、2001年に東京農業大学を卒業。当時は、日本酒がどん底の時代だったと言います。「それでも蔵に戻ろうと思ったのは蔵元杜氏の先駆けで先輩の十四代・髙木顕統さんというスターがいたから。髙木さんの成功を見て、あ、酒造りを自分で行なってもいいんだと思いました」。

どうせ売れていないなら、自分や同級生たちがおいしいと思える酒を造ろうと決意します。蔵元が理念を持っていい酒を造りたいという思いを、ストレートに酒の姿にするには、造り手を兼ねるのが最も速い。そこで、おいしさの進化がぐんと進むというわけです。また、農大OBをベースに横や縦の繋がりができた蔵元たちは、もはや、卒業した大学や地域にこだわらず、酒造りのための情報交換にも抵抗がありません。「酒は、蔵元が理想を抱いて造るものだから、どんなに技術を共有しても個性のある酒が造れるはずだと思っています。

今や、80歳のベテラン杜氏の知識が、みんなで情報交換をすることで、数年で手に入ると言えます」。蔵元杜氏の出現、そして、情報交換による酒造りのオープンソース化によって、酒質は年々三段跳び位で進んでいるのかもしれません。長谷川さんも言います。「やっぱり情報交換が進んだのは大きいと思います。

30年前には、杜氏さんがスタッフの蔵人さんにも造り方を教えないなんてこともありましたからね。これではいけないと思って、蔵元や杜氏同士の交流会を始めたのもその頃です」。また、最近、話題になるのが「全国新酒鑑評会」において、今年で3年連続金賞最多受賞に輝いた福島勢です。その栄光の影には、優れた福島県の指導者の存在が見逃せないそう。

「県全体でおいしいと言われる地域には、県の技術センターなどに優れた指導者がいて、蔵元に醸造技術を指導します。山形県にも優れた県の指導者がいますよ」

④蔵元同士で、自由に情報交換

若手蔵元杜氏たちは、とにかく交流が活発で、情報交換も積極的です。高嶋さんは仲間たちと共に、2007年から「若手の夜明け」という、若手蔵元が主催の試飲会イベントをスタート。年に数回開催されるイベントは、実は若手蔵元同士の縦と横の繋がりを深める役目も担っています。

Text:浅井直子

※こちらの記事は2015年10月20日発行『メトロミニッツ』No.155に掲載された情報です。

更新: 2016年10月19日

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