カルチャーミックスが生んだ焼肉という芸術品

|東京ミートアカデミー[5]|
?焼肉学部 カルビ専攻?
[4限目]比較文化 Comparative Culture

[4限目]比較文化 Comparative Culture 講師 山梨学院大学教授 宮塚利雄先生・学校法人 二本松学院 学院長 宮崎昭先生

もはや国民食!なんていわれるほど、子供から大人まで皆が大好きな焼肉。そのルーツは、第二次世界大戦後の在日朝鮮人にあるといわれ、いまや全国に2万店以上も存在するという焼肉店のメニューには、韓国語で「あばら」を意味するカルビをはじめ韓国料理をルーツとする料理がいくつも定番メニューとして扱われている。在日の人々がもたらした焼肉文化に、日本が誇る上等な霜降りの黒毛和牛がミックスして、戦後、特にバブル景気を迎えた80年代以降の日本を代表するご馳走となった焼肉。ここでは、日本と韓国のミックスカルチャーの産物としての焼肉について、それから私たち日本人の霜降り好きの理由について、朝鮮文化に詳しい山梨学院大学の宮塚利雄先生と、肉用牛に詳しい、二本松学院学院長・京都大学名誉教授の宮崎昭先生のお二人にうかがったお話をもとに考察してみたいと思う。

日本人の肉食カルチャー

そもそも日本人は、たった百数十年前までは日常的に肉を食べる民族ではなかった。仏教が伝来した飛鳥時代、天武天皇が初めて肉食禁止令を出してから、実に1200年もの間、日本人は公には肉を食べてこなかったのだ。
とはいえ、日本人と牛との付き合いは古い。古墳時代の頃に大陸及び朝鮮半島からやってきた渡来人によってもたらされたと言われ、その後、奈良時代から平安時代にかけて農耕(主に水田での作業)に使われるようになり、長いこと役牛として活躍してきた。牛を食用としたのは明治以降と言われているが、実は江戸時代にも「薬食い」と称して滋養強壮のために牛肉を食べていたといわれている。なかでも、肉を食べる習慣を持つ渡来人が多かった近江の彦根藩(現在の滋賀県)では、渡来人の影響で日本人も肉を食用としていたという。また彦根藩は、陣太鼓に使う牛皮の献上を理由に、幕府から正式に牛のと殺を認められていた唯一の藩である。

偶然だった、霜降りラブ

明治に入り文明開化が起こると、人々は牛鍋を食べるようになった。ここで、ミラクルが起きる。それまで水田での作業のために使っていた牛が、実は猛烈に旨かったのだ。
日本でまだ遺伝学のことなどほとんどわかっていなかった時代から、水田で足の抜けがよく働きやすいようにと、改良により足が細く小柄な牛がつくられてきた。この足が細くなる遺伝と、肉が霜降りになる遺伝がたまたま連動していたため、いざ食べるとなった時、非常にいい肉がとれたという。
明治以降、牛肉が解禁になったとはいえ、物資が少ない時代だから肉はごく少量しか食べられなかった。そんななかでも、霜降りの肉で作った牛鍋は、少量の肉でも美味しい味が出て喜ばれた。そんなところから、霜降り牛の価値が徐々に上がっていったのであろうと、宮崎先生は言う。ちなみに欧米人が霜降りをあまり好まないといわれる理由は、肉がほとんど主食であるため脂っこいのは向かないからだという。そういえば、焼肉が一気に日常食化している日本でも、最近は赤身肉が好まれるようになり、霜降りでも脂っこくなくあっさりとしているのが上等とされるようになっている。日常的に食べる肉は赤身、たまのご馳走には霜降り。日本人の肉食カルチャーも、そんな風に進んでいくのだろう。

日韓焼肉比較

李朝時代の文献にも残っているという韓国の伝統料理「プルコギ」。肉をタレに漬け込んでおくのが特徴。写真は煮込み風だが、網焼きなど様々なスタイルがある。

日本の焼肉のルーツは、戦前?戦後の物資がない時代に、在日の人々が食べていたホルモン(内臓)焼きにあると、宮崎先生は言う。かつて農家の財産目録の第一号が牛だったという朝鮮では、牛を「せんぐ生口」といい家族同様に大事にしていたという。だから食べる時にもほとんど捨てるところがないくらい大事に食べたという伝統があり、内臓を食べる習慣も定着していた。日本では内臓を食べる習慣はなかったが、在日の人々が多かった川崎のセメント通りの食堂などで旨そうに食べられていたホルモン。それを真似て食べてみるとなんとも旨く、労働者を中心に徐々に広まっていったそうだ。
その後、日本に「焼肉」という言葉が誕生したのは昭和40年以降。朝鮮半島での韓国と北朝鮮との対立を背景に、朝鮮料理だの韓国料理だのホルモン焼き屋だの様々な名称が出てきたため、韓国語の「プル=火」「コギ=肉」からとって焼肉としたという説が有力だそうだ。ちなみに、プルコギというのは、牛肉を甘辛いタレに漬け込んで焼く(または煮る)料理であり、朝鮮では李朝時代からある伝統料理だ。
以降、韓国の「もみダレ」式ではなく、日本人の文化と味覚に合う「つけダレ」式にアレンジしたり、最大の問題だった煙の問題を解決する「無煙ロースター」が発明されたり。それまで中年男性のワンダーランドだった、臭く、汚く、狭かった焼肉店は、各店主らの惜しげもない努力により、女性も子供も安心して来られる場所となり、一気に大衆化していった。また、牛肉自由化をきっかけに安価な牛肉が入ってくるようになったことも焼肉文化の普及を後押しした。「最初は在日朝鮮人が食べていたのが日本人にも広まって、業界を在日が大きくして。さらに日本人がアレンジを加えることで、業界がさらに大きくなった。いまや韓国でも日本式の焼肉店が増え、逆輸入のような状態になっている。例えばレモン汁を付けて食べると旨いというのも、焼肉店に食べに来た銀座のホステスが助言したのが始まりとも言われているし、今日の焼肉は、国民皆で考えたようなものだね」
そう、宮塚先生は言う。韓国と日本の〝食?のカルチャーミックスが生んだ焼肉。今後もますます、進化していくに違いない!

みやつか・としお
北朝鮮研究が専門で、北朝鮮グッズ収集(宮塚コレクション)の第一人者。パチンコ産業や焼肉産業にも造詣が深い。著書に『北朝鮮・驚愕の教科書』(文春新書)、『日本焼肉物語』(太田出版)、『がんばるぞ!北朝鮮』(小学館)など。

みやざき・あきら/家畜栄養学、飼料学が専門の農学博士。学校法人二本松学院学院長、京都大学名誉教授、元京都大学副学長。著書に『食卓を変えた肉食』(日本経済評論社)、共著に『日本農業への提言?文化と技術の視点から』(農山漁村文化協会)など。

Text:根本美保子
Photo:柳大輔

※こちらの記事は2011年1月20日発行『メトロミニッツ』No.098掲載された情報です。

更新: 2016年10月19日

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