TOKYO ELITE RESTAURANTー世界に自慢したいシェフ
|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ[4]|

東京のイタリア料理の変遷に見る
時代を切り開いた立役者たち「1940~1960年代」

日本のイタリア料理のはじまりは明治時代まで遡ることはできますが、大きく動き始めたのは、まだここ30年くらいでしょう。月日としては浅いかも知れません。でもそれは、おいしいイタリア料理を私たちに伝えようとしてくれたシェフたちの熱くて濃い情熱の歴史でもあります。そんな歴史をイタリアの食文化に精通する河合寛子さんと土田美登世さんに振り返っていただきます。

イタリア食材への憧れと和風スパゲッティ誕生

第二次世界大戦で日本・ドイツ・イタリアが同盟を結んでいたことは、日本のイタリア料理の歴史にも少なからず影響を及ぼしました。そのキーパーソンがアントニオ・カンチェーミというイタリア人。青山などで展開する老舗「アントニオ」の初代オーナーです。彼はイタリア海軍の料理人として神戸に寄港中、イタリアが連合国に降伏したので捕虜にされてしまいました。でも、そこで日本人女性と恋に落ち「アントニオ」を開いたという、なんともドラマティックな展開となったのです。

「アントニオ」にはまず当時の日本に多くいたアメリカ人が通いました。彼らはイタリア料理好きで、日本にピザやスパゲッティを持ち込んでいます。そしてイタリア大使、政財界と、イタリア通の人たちが集まり「本格的なイタリア料理だ」と称賛しました。ただイタリア食材などあるはずもなく、例えばトマトソースには日本製のトマトの水煮缶を使っていたそうです。これはかなり水っぽかったと聞いたことがあります。

でもアントニオは、煮詰めたり砂糖を加えたりと、故郷の味に近づけようと努力しました。アントニオのように、日本にはないイタリアの味を求めて苦労したという昔話は、現在活躍中のベテランシェフたちも最近までよく言っていました。つまり、80年代まで、イタリア食材欠乏症は続いていたというわけです。

だから代替的なアイデア料理がいくつか生まれました。例えば、「バジリコ・スパゲッティ」。これは六本木のはずれに60年にオープンし、社交場として一世を風靡した「キャンティ」のスペシャリテです。本来はバジリコとオリーブオイルで作りますが、どちらも手に入りにくい。そこでオーナーの川添浩史・梶子夫妻が自宅の庭でバジリコを栽培し、シソを合わせてバターで風味をつけたところ人気となりました。

一方、日本らしさで勝負して大成功をしたスタイルがあります。「壁の穴」の和風スパゲッティです。創始者の成松孝安さんが53年にオープンしました。タラコをはじめ、シメジ、梅シソなど意表をついた和食材に昆布粉、醤油などの香りをつけた和風スパゲッティを生んでブームとなりました。

和風スパゲッティが誕生した背景を知ると当時の日本人のイタリア料理に対する無知ぶりがわかります。うどんのようにすするのはよくあることで、「箸をくれ」「丼に入れろ」「麺が固い」といったクレームが多かったそうです。それを少しでも親しんでもらうようにと和風が考案されたというわけです。

ただ親しまれる反面、間違ったイメージを与えることにもなりました。この和風スパゲッティと、先にもふれたアメリカ経由ゆえにスパゲッティやピザに必ずついていたタバスコと粉チーズは、本格的なイタリア料理を望む人たちを長く悩ませることになります。イタリア料理が根付くまでにはまだまだ遠い時代でした。(土田)

本格的イタリア料理の大きな礎を築く

「アントニオ」
アントニオ・カンチェーミ
第二次世界大戦時に司令長官付料理長として艦隊に所属して神戸に寄港するもイタリアが降伏、捕虜となる。人生の大きな転機となり、日本に定住。1944年に神戸でイタリア料理を提供する。59年に六本木店開店。当時まったく知られていなかったイタリア料理を日本に伝えることに人生を注いだ。イタリア“風”ではなく、あくまでも本格的なイタリア料理にこだわった。フレッシュハーブがなければ自分で育て、パスタの茹で方やオリーブオイルの使い分け、調味料や食材の扱い方などを業者やスーパーマーケットなどにも説いてまわり、真の意味でのイタリア料理の普及に尽力した。その功績から、89年に爵位と同等のコメンダトーレ勲章を受章。2003年逝去。

和風スパゲッティ

イタリアの食材=スパゲッティと和風の食材との掛け算で様々なパスタが生まれた。イタリアにはなくて日本にある、その代表作と言えるのが今では当たり前となった「タラコ・スパゲッティ」と「納豆スパゲッティ」だろうか。タラコクリームや納豆を茹でたてのスパゲッティに絡める。どちらも決め手はトッピングのもみ海苔だ。「壁の穴」が先駆けだが、パスタ専門店だけではなく喫茶店メニューの定番ともなった。麺好き日本人を象徴するイタリア風料理の1つ。

河合寛子/土田美登世

【著者】プロフィール 河合寛子/土田美登世

■河合寛子/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」編集長時代には1980年代から90年代にかけての大イタリア料理ブームをプロの視点から取材してきた。確かな知識で書かれる原稿にシェフたちの信頼も厚い。イタリア料理の編書多数。

■土田美登世/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」では河合氏の部下。ともに「料理王国」創刊メンバー。『日本イタリア料理事始め堀川春子の90年』(小学校・刊)をまとめ、日本のイタリア料理の歴史を追った。

Text:河合寛子(1980年代、1990年代)/土田美登世(明治〜1970年代、2000年代)

※こちらの記事は2015年11月20日発行『メトロミニッツ』No.157掲載された情報です。

更新: 2016年11月5日

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