日本酒新時代のムーブメント

|SAKE INNOVATION[1]|
歴史上最も美味しい“COOL”なお酒「日本酒」

「日本酒は今、歴史上最も美味しい」と謂われて数年。その間にも、世界各地で食事とのペアリングを愉しむ“COOL”なお酒としてファンを増やし、各界の一流クリエイターも酒造りに参加、蔵元はもちろん、お酒を届ける飲食店の意識もますます高まっています。例えばTOP画像の恵比寿「GEM by moto」。詳しくは後の記事でご紹介しますが、ここは今なお革新を生み、時代を書き換え、躍動し続ける日本酒ムーブメントの中心地の1つだと、FOODPORT編集部は考えます。そんな各地で巻き起こっている「SAKE INNOVATION」を追いかけるため、まずは、紆余曲折あった近代日本酒の歴史的変遷を振り返りつつ、日本酒の進化を決定づけた要因を蔵元、酒販店、飲食店、ジャーナリストなど、様々な人の視点から読み解いてみます。

Photo:Yoshiharu Ota
Hair&Make:Tsuyoshi Watanabe
Model:Sundberg Naomi、KIKURI
Design:groovisions

なぜここまでおいしくなったのか?クロニクルとインパクトから検証する日本酒進化論

気が付けば、おいしく飲める飲食店が増え、書店では関連本が並ぶようになった日本酒。一体、何が起きているのでしょう? そこに至るまでの道のりとは? 今、日本酒を取り巻く状況を俯瞰で捉えている、若手蔵元、酒販店、飲食店、ジャーナリストといった様々な立場の方に伺いながら、時代の流れと、エポックメイキングな事柄の両面から日本酒の進化について考えてみました。

酒米の普及と、今に続く、おいしさの価値観の変化

さて、時代の流れをざっとつかんだ後は、いよいよ日本酒の進化を決定づけたインパクトをひも解いていきます。時代によって、原料、技術、人など様々なインパクトが起こりますが、大きく5つのインパクトに整理してみます。まず、何と言っても①原料となる酒米の増産と流通が活発になったこと。中でも、長らく入手困難だった酒米の王者「山田錦」の普及は画期的なことでした。次に、前述の日本酒クロニクルでも触れた②第1世代が手がけた「吟醸酒」の解放。今でこそ、フルーティで繊細な味わいの吟醸酒は、日本酒が楽しめる飲食店でもよく見かけるようになり、今や珍しい存在ではありませんが、実は市場に出回り始めたのは80年代初期のこと。貴重な米を磨いて(削って)造る贅沢な酒は、日本全国の杜氏たちが日頃の腕を競い合う「全国新酒鑑評会」に出品する別格の酒でした。「審査員の目に留まるために、米を磨き、香りが高くインパクトのある酒が出品されるようになったのは、昭和の初め頃からだったようです。でも、それはあくまでも出品酒として造られた酒。吟醸酒が市場に出回ることはありませんでした」。と、吟醸酒の来た道を振り返るのは、「真澄」(長野県・宮坂醸造)蔵元で、1981年に設立された日本吟醸酒協会現理事長の宮坂直孝さん。「しかし、目ざとい日本酒愛好家たちの間で、吟醸酒が知られる存在になると、じわじわと評判が広がりまして。ならば、市販してみようと」。華やかでフルーティな香りが特徴の吟醸酒は、当時、洋食化が進んだ飲み手の嗜好にも合い、受け入れられるようになりました。今、注目の若手蔵元として、真っ先に名前が挙がる全量純米造りの「新政」(秋田・新政酒造)蔵元、佐藤祐輔さんは、「吟醸」に加えて、アルコールを添加しない「純米」を先人たちから引き継いだ「財産」と捉えています。「吟醸は明治に入り、先人たちが命がけで開発に取り組んできた酒です。しかし、市販化されたのは昭和に入ってから。バブル期にいったん日の目を見ましたが、収縮。その後も、売れない時から普及に努めていた日本吟醸酒協会などによって、ようやく今にバトンが繋がったと思います」。今、好まれている酒質が生まれた背景は、吟醸酒を世に出した第1世代、その味に影響を受けた第2世代とそれに続く第3世代、そして、意志をもって吟醸酒を広めた人たちの存在抜きには語れないようです。

「史上最高の味わい」までの駆け足日本酒クロニクル

日本酒がここまでおいしくなったターニングポイントはどこにあったのか、まずは、戦後に起こった日本酒の隆盛と凋落を振り返ってみます。大きく分けて、日本酒の流れは、
①戦後、造れば造っただけ日本酒が売れた時代
②1970年代にわき起こった地酒ブーム
③80年代は、米を削り、洗練された味わいが楽しめる吟醸酒ブームの到来と、吟醸酒を造る第1世代蔵元の活躍
④80年半ばから90年代、すっきりした味わいの淡麗辛口ブームが起こる一方、第2世代の蔵元が出現
⑤2000年代半ばからは、第2世代の奮闘を見てきた若手の第3世代が浮上
と、ごく大まかに5つのポイントがあります。では、そのポイントを順にざっと見ていきましょう。

①戦後、造れば造っただけ日本酒が売れた時代は、米不足という時代背景のもと、「三増酒」(三倍増醸酒の略)と呼ばれる酒が主流になります。これは、水で薄めた醸造アルコールや糖類などを加えて、文字通り元の日本酒を3倍の量にしたもの。未だにくすぶる日本酒のマイナスイメージはここにあるとも言われていますが、高度経済成長期と共に日本酒は出せば売れる時代でした。そんな中、64年には純米酒を復興させる蔵や、72年には、全国初の吟醸酒を販売開始する蔵など、品質の向上に目を向けた動きがちらほら始まります。1973年には日本酒の醸造酒量がピークを迎え、以後右肩下がりに。しかし、70年から始まった旧国鉄の国内旅行を促進するキャンペーンの影響で、地方の蔵が注目を浴びるようになります。

そこから②70年代にわき起こった地酒ブームに突入しました。

③80年代の吟醸酒ブームの到来時には、その後の第2世代が憧れる「磯自慢」(静岡・磯自慢酒造)や、「東一」(佐賀・五町田酒造)が吟醸酒で名を馳せます。この第1世代が造る華やかな吟醸酒に魅了された蔵元の中から、次のムーブメントの原動力となる第2世代が登場します。80年代後半、世の中がバブル期に突入すると吟醸酒ブームに変わって、

④淡麗辛口ブームと第2世代蔵元の台頭が起こります。新潟らしい味わいとして知られる「淡麗辛口」は、すっきりした飲みやすい味わいでたちまち全国区レベルの人気を獲得。そんな中、第2世代は、ブームである淡麗辛口とは異なり、第1世代の吟醸酒の世界をさらに進化させた新しいテイストを打ち出します。フルーティ、ジューシー、ふくらみもあり、米のうまみも感じる。今に続く日本酒の味わいを、新しいステージに引き上げたのがこの世代です。中でも、「十四代」(山形・高木酒造)の髙木顕統さんは、「蔵元杜氏」の先駆けとして、第3世代蔵元の道しるべとなりました。

(長い間、蔵の経営者「蔵元」と酒を造る人「杜氏」は完全に分かれていましたが、杜氏の高齢化などにより、蔵元が杜氏を兼任するように)続く2000年代半ばからは、⑤第2世代の奮闘を見つつ、より新しい感覚を携えた若手の第3世代蔵元たちが浮上。革新を起こした第1世代、第2世代の上に、第3世代の若手蔵元の増加により、今、私たちがおいしいと感じる日本酒の層に厚みが出てきたというわけです。

Text:浅井直子

※こちらの記事は2015年10月20日発行『メトロミニッツ』No.155に掲載された情報です。

更新: 2016年10月19日

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