#1 東京の名店

名店の料理人たちのいま・ここにあるニュース

Text :永浜敬子、神吉弘邦、佐藤太志

これよりお届けするのは、あの名店の料理人の皆さまに、「今、考えていること」や「今、取り組んでいること」など、最近の話題を語っていただくニュースページ「東京“名店”ジャーナル」。それぞれのテーマで、自由に語っていただきます。

「オテル・ドゥ・ミクニ」三國清三さんの話題

何かを始める時は「10年先」を見る。
今、私は「東京」という都市の10年後のレガシーに取組んでいます。

来年、再来年は、三國清三シェフにとって、歴史に残る2年間となるのかもしれません。ラグビーワールドカップ2019、東京オリンピック・パラリンピックの顧問に就任。その2年を迎える前の「今、取り組んでいること」を伺いました。

KIYOMI MIKUNI
1954年生まれ。帝国ホテルを経て、1974年に駐スイス日本大使館の料理長に就任。その後、スイス、フランスで修業し、1983年帰国。1985年、四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープンさせる。2015年、フランス共和国よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受勲。

北海道から沖縄まで、全国どこへ行っても日本には素晴らしい生産者がいます。しかし、実はここ東京にも、現在1万軒以上の農家さんがいるんですよ。私が東京の野菜に注目し、普及のお手伝いを始めたのは、今から45年前のこと。それまではあまり認知されていませんでしたが、今はとても注目されています。次第に、それぞれブランド名が付いていき、生産者がクローズアップされ、フェスタなどが行われるように。「江戸」というブランドは本当に強いですね。
何でもそうですが、前例のないことや新しいことを始めると、やはり最初は注目されます。それを10年間、取り組んでいくと世の中に定着していきますが、同じことを20年もやり続けると徐々に飽きられてきます。30年も経てば、忘れられてしまいます。物事を始める時は、まずは最初の10年間のスタンスをきちんと定め、その後は守るべきところを守りながら、進化させていくことが重要。私の店「オテル・ドゥ・ミクニ」もこの春に33周年で、33年間務め上げた人物から40代の若手に調理長が交代になります。また、パティシエも30代の人に交代。一気に若返ります。もちろん、私がオーナーシェフであることやお店自体は変わりませんが、さらに10年先のことを考え、今できる最良の新体制がスタートします。
開業した33年前の1985年と言えば、バブルに入るより少し前のこと。まだ海外に行った経験のある人は少ない時代で、フランス料理店である私の店では、本場の味やマナーをご存じではないお客様が少なくありませんでした。例えば、食前酒、シャンパンを飲んで、白ワイン、赤ワインなど、そういう嗜好もありませんでしたね。お水を、という方も多かった。料理をする私も、ミントなどのハーブは手に入らなかったため農家さんに頼んで植えてもらっていましたし、生産者のもとへも足繁く通いました。今は当たり前になりつつありますが、当時、各地の生産者に直接足を運んで、食材探しに行く料理人など、少なかったですね。日本全国の生産者に会いに行き、土地を知り、コミュニケーションとりながら自分の目で食材を選ぶこと。そんな風に生産者とつながることは、この店では最初からコンセプトでした。
私は、今、来年の「ラグビーワールドカップ2019」、2020年の「東京オリンピック・パラリンピック」の顧問を務めています。新しいことをする何かが壊れてしまうのではないかと思うかもしれませんが、良いものが定着する仕組みを作ればいいのです。
例えば、戦後、都市開発が進んで東京の自然は汚染しましたが、最近は環境負荷を考えながら街づくりをしていることもあって、清流でないと生息できない鮎が神田川を上っていますからね。東京で〝地産地消〞ももはや夢ではありません。今の東京なら、オリンピックの10年後、レガシー(遺産)が残せるはず。10年先の東京を見つめて、取り組んでいます。

オテル・ドゥ・ミクニ
旧ロシア教会の洋館を生かしたレストランは開業から33年を経て、緑に覆われ、さらに趣深さが増しています。三國シェフの料理のテーマは、素材が持っている力を生かしきる「キュイジーヌ・ナチュレル」。

☎03・3351・3810
東京都新宿区若葉1・18 ランチ12:00~14:30LO、18:00~
21:30LO(日曜はディナー休み)月定休

「京都吉兆」徳岡邦夫さんの話題

日本料理の原点、「京都吉兆」の本質。
国内外、どの舞台で仕事をしても私の守るべきものは変わりません。

日本を代表する料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一さんを祖父に持つ、「京都吉兆」の徳岡邦夫さん。“守るべきもの”と“変えていくべきもの”を見極める、その目利きを生かして、今、国内外の様々な舞台で活躍されています。

KUNIO TOKUOKA
1960年生まれ。20歳から本格的に料理の修業を経て、京都・嵐山本店へ。1995年より総料理長を務める。2009年、「京都吉兆」代表取締役社長に就任。同年、嵐山本店はミシュラン三ツ星の評価を得た。

私は「京都吉兆」という日本料理店の3代目ですが、常々、料理屋とは料理を出すだけが存在意義ではないと思っています。初代の祖父・湯木貞一が標榜した「人と人がより仲良くなれる場であれ」という心と日本文化を伝承していくことが使命だと考えているのです。実は「京都吉兆」は、1990年代のバブル崩壊を経て、2000年代に社会が「食」の安心・安全問題に揺れる中で一時経営が苦しくなりました。そこで、改めて「人と人が仲良くなるための料理」、「店にとっての本質は何か」と真剣に考えるように。そして、時代とともにお客様の嗜好も変われば、素材や料理も変わる。世の中に求められる料理屋になるためには、守るべき本質は守りつつ、時代に適応した形への変換が必要だという思いに至りました。伝統というのは、単に同じものを右から左に渡していくだけでは継続していかれないものなのです。「京都吉兆」とは一見、全く違いますが、私が10年前からお手伝いしている群馬県・川場村の道の駅「川場田園プラザ」も実はそうです。ここは総面積85・29㎢のうち88%が森林で人口は3500人。そこに現在、年間200万人が訪れるようになりました。この村には、特筆するような資源・産業はありません。でも、温かい人と日本のふるさとの原風景である美しい田園風景があります。それこそが、この村の本質。あえて箱物を作らず、広大な森林と川を生かした環境作りと、「おきりこみ」などの古くから地元に伝わる伝統食の改良、お米を使った商品開発などを行ったところ、川場田園プラザは「全国モデルの道の駅」に選定されました。それは、長くこの土地が受け継いできたものは変えず、今の時代に適応するように少し変えただけで得られた結果。そこには「老舗」の方法論が生きていると思います。今は、来秋のオープンを目指し、多くの日本の企業や自治体が一丸となって取り組んでいるNYマンハッタンの「ジャパンプラザ」(仮)の事業に参加しています。これは、日本の食文化を海外に伝えるフードマーケット。今、海外では日本ブームが起きていますが、日本の「食品」や「料理」は伝わっても、「文化」まではなかなか正しく伝わっていないというのが問題です。しかし、日本文化の伝承は「吉兆」に生まれた私の使命。例えば、食材だけでなく日本の料理道具まで紹介したり、料理教室を行ったり、さらにお祭りや伝統工芸品のワークショップの開催などを考えています。大切なのは、モノや仕組みを輸出するだけでなく、日本人と海外の人が直接つながりながら伝えていく場作り。「吉兆」も料理だけでなく、空間やおもてなしが伴うことで、人と人(お客様同士)は距離を縮めることができますが、海外でも、料理だけでなく、その背景にある日本文化が伝わってこそ、人と人の交流が生まれるはず。ただ、本質的な部分は守りつつ、後はそれぞれの国柄に適応するやり方に変えていくことで、やがて世界各地に正しい日本文化が根付いていくのではないでしょうか。

※こちらの記事は
2018年4月20日発行『メトロミニッツ』No.185に掲載された情報です。

更新: 2018年6月12日

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