#7 真夏のじゃがいも読本

世界をめぐったじゃがいも

Text:三好かやの

私たちが普段何気なく食べているじゃがいもは、地球の裏側、アンデス地方の原産。スペイン人がヨーロッパにもたらした後、飢餓や戦争に苦しむ人たちを救い、多く人の運命を変えながら、世界中に広まっていきました。有史以来、これまでじゃがいもがたどってきた道のりを、一気に遡ってみましょう。

大航海時代 インカ帝国からスペインへ

じゃがいもは、米、小麦、トウモロコシと並んで「世界四大作物」と呼ばれています。他の主要作物に比べ、痩せた土地と、厳しい気候条件でも、短期間で栽培できる強さがあり、そのため飢饉や戦争に苦しむ世界中の人たちを、何度も救ってきました。
じゃがいもの原産地はペルーのアンデス地方。古代ペルー人により、紀元前7000年頃には、海抜3800mを超える高地で、食物として利用され、色も形も大きさも、たくさんの品種が生み出されていきました。
アンデス地方は、乾期になると夜間は氷点下5〜10℃、日中は日差しが降り注ぎ15℃前後まで上昇する、寒暖の差が非常に激しい地域です。そんな気候を利用して、夜間はじゃがいもを凍結、日中は解凍して、足で踏みつけ水分を抜き、乾燥することで保存性を高める「チューニョ」も生み出され、一年中欠かせぬ食料となっていきました。そのアンデスで13〜15世紀頃に繁栄したのがインカ帝国であり、最も重要な作物はケチュア語で「パパ」と呼ばれるじゃがいもでした。
ところが栄華を誇ったインカ帝国は、1533年、スペインのピサロ総督と彼が率いるわずかな兵によって征服されてしまいます。こうしてスペインの人が、じゃがいもをヨーロッパへ伝えたことをきっかけに、世界中へ広まっていきました。

戦乱と飢饉から人を救い移民を促す存在に

ヨーロッパに伝わったじゃがいもは、最初は観賞用として広まりました。当時のじゃがいもは、今よりごつごつしていて、色も形も悪かったので、「食べたら病気になる」との迷信も生まれていたほど。それでも打ち続く飢饉と戦乱を乗り越えるために食べられるようになり、広く普及していったのです。動乱期のヨーロッパやアメリカの歴史の陰には、いつもじゃがいもの存在がありました。
17〜18世紀のヨーロッパ諸国では、異常気象による寒冷と、戦争に次ぐ戦争で、農民たちが苦しめられました。そのたびに兵士が麦畑を踏み荒らしたり、貯蔵した麦の倉庫が略奪の対象となりましたが、そんなとき、じゃがいもは、畑が少々踏み荒らされても収穫できた上、貯蔵庫代わりに畑に埋めておいて、畑から掘り出せば食べられるので、戦乱を生き抜く人たちに欠かせぬ作物となっていきます。
17世紀に起きた三十年戦争で、全土が戦場と化したドイツ。その約100年後の1756年、プロイセンのフリードリヒ2世は、「空いた土地があれば、じゃがいもを栽培せよ」と「じゃがいも令」を発令しました。
18世紀になると、フランスを18回の飢饉が襲います。薬剤師のパルマンティエがプロイセンの捕虜になった時に食べさせられたのは、来る日も来る日もじゃがいもでした。帰国後、彼は凶作に苦しむ民衆のために、じゃがいもの栽培を提案。
じゃがいも畑にわざわざ見張りをつけて〝貴重な作物〞と印象付けたり、じゃがいも尽くしの晩餐会を企画するなど、じゃがいもの普及に貢献しました。「アッシェ・パルマンティエ」は、そんな彼の名にちなんだ料理です。
彼のPRにより、王妃マリー・アントワネットや貴婦人が、その花を好んで髪や胸に刺したので、「イモの花」が夜会で大流行するほどになりました。フランス革命後、政権を取ったナポレオンもまた、じゃがいもの栽培を推奨。生産量はかつての15倍になったと推測されています。
一方、17世紀のロシアでは、職工に身をやつしてオランダやイギリスで学んだピョートル1世が、じゃがいもの存在を知り、自国での栽培を奨励します。目の前に茹でたじゃがいもを山盛りにされても、食べようとしない農民に、「食って見せなければ、打ち首に処す」と脅して、ようやく食べさせたというエピソードも残されています。
そんなじゃがいもを、主食として最初に受け入れたのは、アイルランドの人たちでした。ところが、あまりにじゃがいもだけを栽培し続けたために、1845年、アイルランドでじゃがいもの疫病が蔓延し、大飢饉が起こります。この時の死者は100万人に達するほど。生き残った人たちの多くが新天地を求めてアメリカへ。その移民の子孫の中には、W・ディズニーや、J・Fケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントンなど、歴代アメリカ大統領がいました。

1990年代以降、 途上国で生産量拡大中

日本にじゃがいもがたどり着いたのは、1600年頃。オランダ船によって当時「ジャワ」と呼ばれていたインドネシアから輸入されたのが始まりでした。当時のジャカルタは「じゃがたら」と呼ばれていたので、「じゃがたらいも」が転じて「じゃがいも」になったというのが定説とされています。江戸時代、寛永、天明、天保と飢饉が起こるたび、ピンチを救う「救荒作物」として広まっていきます。
日本での栽培が本格化したのは明治以降。川田龍吉男爵が、1908(明治41)年に函館近くの七飯村(現七飯町)で導入したのがイギリス生まれの「アイリッシュ・コブラー」という品種でした。これが後に「男爵薯」と呼ばれるようになり、今も私たちの食卓を賑わせています。
日本のじゃがいもの消費量は、1人当たり年間20・84kgで世界93位。結構食べているようで1位のベラルーシの約10分の1なのには驚きです。世界全体の生産量を見てみると、1990年代の初めまでは、主にヨーロッパ、北アメリカ、旧ソ連で生産されていましたが、その後、アジア、アフリカで生産量がめざましく伸び、2013年の生産量1位は中国、2位をインド、7位をバングラデシュが占めています。
厳しい環境下でも育ち、飢餓、貧困、環境破壊の緩和に役立つじゃがいもは、「畑の中の宝物」。今なお、世界中で愛される、心強い味方なのです。

※こちらの記事は2016年8月20日発行
『メトロミニッツ』No.165に掲載された情報です。

更新: 2018年6月12日

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