#1 この頃の肉料理

2017年を”かたまり”で〆よう。

各時代の背くらべ(成人男性の平均身長比較)
日本の肉文化

Illustration 堀道広
参考:『事典 人と動物の考古学』西本豊弘、新見倫子・編。吉川弘文館・刊(2010年)

来る2018年は、明治維新から150周年。そこで、今月、お届けしたいのは「肉」の特集です。特に、「かたまり肉」(塊肉料理)の数々を存分にご堪能ください。しかし、「明治維新→肉」とは一体!? まずは、左ページをご覧ください。縄文人、弥生人、明治時代の人、現代人が背くらべをしてみると、なんと明治の人は縄文の人よりも小柄です。それは、食料の問題が一因だと言われています。狩猟から家畜へ、古来から肉をよく食べていた日本人ですが、飛鳥時代に「肉食禁止令」が出されて以降、米と菜食、魚介を主体とした和食文化を育んできました。さらに江戸時代には度々飢饉に見舞われるなど、栄養事情に問題があったようです。しかし、文明開化とともに急激に「肉食」の道を突き進み、いよいよ栄養も充足した現代では身長もご覧の通り。明治維新から150年は、日本に「肉文化」が芽生え、熟してきた期間だったと思うのです。だから、今こそ「肉」を。中でも、技術、知識、設備が揃っていなかった明治時代には最もあり得なかったであろう、この頃の肉料理は「かたまり肉」。肉汁の旨みいっぱい、150年で成熟した肉文化を噛みしめながら、年末の〆も、新年のスタートも、「かたまり肉」で。ぜひどうぞ!

各時代の背くらべ(成人男性の平均身長比較)

右から
約1万5000年〜2900年前
縄文時代 身長160cm
食べ物を求めて移動しながら暮らした氷河期が終わり、温暖な気候の中、定住し、村を形成したのが縄文時代。食料は、「貝塚」でお馴染みの海産物、木の実の他、シカ、イノシシを盛んに狩猟した。シカ、イノシシは、東北から九州まで、ほぼ全ての遺跡から出土しているらしい。

約2900年〜1800年前
弥生時代 身長163cm
弥生時代は、半農半猟(漁)生活。大陸から農耕が伝わり、家畜も飼うようになる(ブタやイヌなどを飼って食した)。シカ、イノシシなどの狩猟は、農作業に労力を注ぐようになるため減少するものの、続行。身分の差も生まれ、後期には邪馬台国も興った(古墳時代との説も)

約150年前
明治時代初期 身長 155cm
罪や穢れの思想から、殺生や肉食を忌避する習慣が約1200年も続いてきた日本。とは言え、その裏側では、時代、地域、階級など、それぞれのスタイルで肉食は継続されていたそうだが、文明開化とともに公式に解禁されると、庶民の間にも広く浸透。まずは牛鍋が流行する。

現代
平成時代 身長170cm
明治初期の牛鍋の流行に始まり、時代を経るごとに、肉じゃが、カツレツ、牛丼など、「日本の肉料理」のラインアップはどんどん増えていった。そして現在は、何年も前から「肉ブーム」と言われ、ジビエ、熟成肉、赤身肉、そして塊肉など、さらに新たなキーワードが生まれている。

日本の肉文化

まずは、想像してみてください。テーブルの上に鎮座する、「塊肉のロースト」。その隣に並ぶのは、味噌だれで甘辛く煮た「牛鍋」です。かつて、ほとんど肉を食べてこなかった日本人は、文明開化から150年で、こんなにも多彩な「肉文化」を手に入れました。ここでは、その時代を少しだけ振り返ります。

わりと食べていた…という事実もありますが、日本人は約1,200年もの間、「肉食」の忌避を貫いてきました。発端は、殺生を禁じる仏教を国の宗教に据えたため、675年、天武天皇は「肉食禁止令」を発令。その内容とは、「4~9月は、狩猟・漁撈禁止。ウシ、ウマ、イヌ、サル、ニワトリの肉食は禁止」。つまり、例えば10月にシカを狩猟するのはOKという、実は多少ゆるめの内容でしたが、そのカゲには、「コメ」の存在があったようです。4月から9月は、農耕シーズン。米作りとは難しいもので、豊穣の縁起を担ぐという信仰心も、「肉」を遠ざけた要因の1つのよう。しかし、やがて明治時代が訪れ、西欧諸国と交流するためにも、外国人との体格差を埋めるためにも、堰を切ったように「肉食文化」を取り入れ始めた日本。牛鍋の流行から始まった明治初期は、味噌や醤油で仕立てた日本風の肉料理でまずは「肉」に体を慣らし、明治中期から後期にかけては、西洋料理をご飯と合うよう、日本人好みに作り変えた和洋折衷料理の「洋食」を充実させていきました(ちなみに、大正時代には、カレーライス、カツレツ、コロッケが「日本3大洋食」と呼ばれた)。昭和に入り、戦争を経て、高度経済成長期とともに肉の消費量は一気に加速。家庭料理のラインアップも急増し、街にはファストフードから本格的なレストランまで、海外からの食文化も入ってくるように。そして、「肉ブーム」と言われて久しい現在も、新しい話題が次々と発生。日本の肉文化は、今なお進化中のようです。

【近代の日本人と「肉」の歩み】
江戸時代

1862(文久2)年
横浜に初の牛鍋店「伊勢熊」開店
1867(慶応3)年
東京に初の西洋料理店「三河屋」開店/中川嘉兵衛が堀越藤吉の地所内に東京初の屠牛場を開設。牛肉店も始める
1868(明治元)年
中川嘉兵衛・堀越藤吉、東京初の牛鍋屋「中川屋」を開業

牛鍋
仮名垣魯文が著書『安愚楽鍋』に記した「牛鍋食はねば開化不進奴」(牛鍋を食べない奴は流行に遅れだ)に象徴されるように、牛鍋は文明開化の波に乗って大流行した。そんな牛鍋とは牛肉などを煮込んだ味噌ベースの料理だが、『安愚楽鍋』には「すきやき」という言葉も出てくる。食文化研究家の小菅桂子さんによれば「牛鍋は関東の呼び方で煮る料理、すき焼きは関西の呼び方で焼く料理」で、大正時代には、「すきやき」が牛肉を醬油や砂糖、みりんで、鉄鍋を用いて調理した料理の共通名になったという。

焼鳥
室町後期の書物に「焼鳥」という文字が見られるが、「鶏肉を串に刺して焼く料理」という形になったのは戦後のこと。それまで日本の養鶏は採卵が主な目的で、鶏肉は高級食材だった。昭和28年に大量飼育の「ブロラー」が導入され、手頃な価格になってから今のような焼に。

明治時代 前期

1869(明治2)年
東京府内に牛鍋屋が相次いで開業
1871(明治4)年
仮名垣魯文『安愚楽鍋』刊行
1872(明治5)年
明治天皇が肉食奨励のため、初めて牛肉を試食。天武天皇(673〜686年)の時代に発令された「肉食禁止令」が終焉/僧侶に肉食、妻帯、蓄髪が許可される/養豚が流行、価格が騰貴
1873(明治6)年
太政官布告により、病死した鳥獣肉の販売が禁止に/『公文通誌』が牛肉消費の増加を報じる。「明治初年の東京府下1日の屠牛数は1頭半、5年末には20頭になった。20頭の肉は1人半斤と見積もって5000人分である」
1874(明治7)年
大久保に豚専門の屠場が設置される/カレーライスの作り方が『西洋料理読本』に紹介される1880(明治13)年
肉の密売増える
1885(明治18)年
全国の牛の屠殺頭数が約1万6000頭を超える(その8割は大阪)
1886(明治19)年
豚の飼養統計が初めて作成される。4万1904頭

肉じゃが
明治4年からイギリスに留学した日本海軍元帥の東郷平八郎は、現地で食べたビーフシチューの味が忘れられなかった。帰国後、艦上食として再現するよう命じてできたのが肉じゃがの原型、という逸話が有名。「肉じゃが」という名は、高度経済成長期の終わり頃にそう定まったのだとか。

ステーキ
明治初期、東京より早く、横浜にはすでに西洋料理店が軒を連ねていた。それらの店にはステーキがあり、その血がしたたる様子に抵抗を覚えた人が「外国人の食べ物で、日本人が嗜むものではない」と記している。だが、明治後半にもなると、ステーキは日本人にとって特別なご馳走となる。

明治時代 後期

1887(明治20)年
日本初のハム工場設立(鎌倉ハム)
1888(明治21)年
牛の屠畜10万頭を超える/馬屠畜数が急増。明治16年には605頭、20年は4301頭、21年は7703頭
1890(明治23)年
帝国ホテル開業
1891(明治24)年
親子丼が考案される。発祥は日本橋「玉ひで」
1895(明治28)年
雑誌『女鑑』に家庭向け料理として、ロールキャベーヂ、仏蘭西コロッケが紹介される。また12月号では、ハンパクビフテーキの作り方が載る/銀座「煉瓦亭」が開業
1898(明治31)年
『日本料理法大全』にライスカレーが紹介される
1904(明治37)年
日露戦争開戦

カツ丼、とんかつ
明治32年、銀座「煉瓦亭」が、仔牛、豚などを炒め焼きするフランスの「コートレット」を揚げ物にアレンジしたのが「ポークカツレツ」。薄切り肉を用いたカツレツに対し、箸でも食べやすいよう厚切り肉を揚げ、とんかつソースをかけ、予めカットして提供する「とんかつ」は、明治38年創業の上野「ぽん多本店」が最初に始めた(昭和4年に誕生説もある)。また、大正7年にカツカレーが、大正10年にはカツ丼が登場した。

大正時代

1912(大正元)年
豚の飼養頭数30万頭に達する
1913(大正2)年
ソースカツ丼が考案される。ベルリンに料理修業に出ていた高畠増太郎が帰国し、ドイツ仕込みのソースとトンカツを組み合わせた
1914(大正3)年
第一次世界大戦開戦
1918(大正7)年
浅草の洋食屋台「河金」がカツカレーを考案
1921(大正10)年
早稲田のそば屋「三朝庵」がカツ丼を考案(早稲田高等学院文学部学生だった中西敬二郎が考案との説も)
1922(大正11)年
陸軍糧秣本廠の調査によれば、国民1人当たりの平均消費量は、鮮魚25.5g、塩乾魚16.9g、食肉3.75g
1923(大正12)年
関東大震災発生
1924(大正13)年
「世界的文化料理」とのキャッチコピーで宣伝されたコンビーフが急速に普及/牛肉の国内生産約6万tに対し、輸入牛肉1万5000tと急増。輸入先は、中国青島8割、カナダ・豪州2割
1925(大正14)年
神戸が食肉消費地日本一に。市内で年間約2万6000頭の牛肉を生産した他、10万頭分を海外から輸入。神戸市民1人当たり1日約25g、年間約9㎏

ハンバーグ
明治28年、雑誌『女鑑』に掲載された「ハンパクビフテーキ」は、叩いた牛肉に塩コショウ、小判型に成形し、ごく細かく切った玉ねぎをその両面に付けて、バターで焼き上げるというもの。卵とパン粉を入れてふっくらと焼き上げるハンバーグは、1950年代に家庭料理として普及。

豚のしょうが焼き
明治後期、牛肉は日露戦争で兵士の食料(缶詰)に回され、供給が追い付かなくなった。そこで豚を輸入し、養豚を強化。豚肉料理の普及に一役買ったという東京帝国大学教授・田中宏が大正2年に刊行した豚肉料理本には、まるでしょうが焼きさながらの料理「生姜炒」が載っていた。

昭和時代

1926(昭和元)年
雑誌に「ハムライスの素」「チキンライスの素」の広告が掲載される
1927(昭和2)年
カレーパンの元祖「洋食パン」発売。深川「名花堂」(現・カトレア洋菓子店)にて
1928(昭和3)年
『家庭料理大全』にオムライスが登場
1935(昭和10)年
農林大臣官邸でジンギスカン鍋の試食会が行われる
1936(昭和11)年
東京市営芝浦屠場開設
1937(昭和12)年
日中戦争開戦
1938(昭和13)年
銀座にホットドッグ屋台が登場。これまで菓子パンやあんパンしか食べたことなかった人々に衝撃
1939(昭和14)年
第二次世界大戦開戦
1940(昭和15)年
全国で「肉なしデー」が始まる。毎月2回、肉屋、食堂などでは肉の販売禁止に/東京市内に「贅沢は敵だ」の立て看板設置
1941(昭和16)年
肉屋で犬、タツノオトシゴ、オットセイ肉も販売可能になる
1945(昭和20)年
終戦。無条件降伏した当日から5日間、新宿の焼け跡に葦簀(よしず)張りのマーケットが生まれた。この後、銀座8丁目など、東京の盛り場という盛り場が闇市化していく

しゃぶしゃぶ
第二次大戦後、薄切りの羊肉を湯にくぐらせ、タレにつけて食べる北京の鍋料理が伝わり、日本流の「牛肉の水だき」が生まれた。それを取り入れて、昭和27年、メニューとして提供したのが大阪の「スエヒロ」。ジャブジャブとたらいで洗濯している音を聞いて、「しゃぶしゃぶ」と命名。明治32年、銀座「煉瓦亭」が、仔牛、豚などを炒め焼きするフランスの「コートレット」を揚げ物にアレンジしたのが「ポークカツレツ」。薄切り肉を用いたカツレツに対し、箸でも食べやすいよう厚切り肉を揚げ、とんかつソースをかけ、予めカットして提供する「とんかつ」は、明治38年創業の上野「ぽん多本店」が最初に始めた(昭和4年に誕生説もある)。また、大正7年にカツカレーが、大正10年にはカツ丼が登場した。

鶏の唐揚げ
「からあげ」とは、鶏肉に限らず「何もつけずに揚げた素揚げ、もしくは小麦粉や片栗粉を軽くまぶして揚げたもの」。「唐揚げ」や「空揚げ」という名でなくても、少なくとも江戸時代にはすでにそういう料理はあった。若鶏の唐揚げは、昭和7年、「食堂・三笠」が売り出し、大ヒットさせた。

日本国内の肉類消費量

出典:農林水産省 平成27年度食料需給表・品目別累年表「肉類」より

高度経済成長期(1955~1973年)に入ると食事の欧風化が進み、肉(牛、豚、鶏)の消費量は飛躍的に増加した。しかし、上のグラフのように、それ以降もゆるやかながらもずっと上昇傾向で、1960(昭和35)年から2015(平成27)年の間に、日本人の食肉消費量は約10倍に増えている。

※こちらの記事は
2018年12月20日発行『メトロミニッツ』No.182に掲載された情報です。

更新: 2018年4月21日

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