|メキシコの風、吹く[4]|
すべての起源は7000年前にあり
メキシコ料理の歴史 前編:古代~中世

今や世界を席巻しているTEX-MEXですが、その大本は古代から連綿と受け継がれてきたメキシコ料理にあります。その壮大な歴史を、古代から現代まで便宜的に4つに区切って駆け足で振り返ってみましょう。
大まかな流れをつかめば、なぜ世界的にメキシコの風が吹いているのか、より理解も深まるはずです。

まずはメキシコのプロフィールをおさらい

飛行時間:成田→メキシコシティ:約11時間
人口:約1億2,233万人(2013年)
首都:メキシコシティ
公用語:スペイン語
宗教:カトリック(約9割)
国土:196万4,375?
通貨:メキシコ・ペソ
人口は日本(約1億2,730万人)とさほど変わらないが、国土面積が日本の約5倍のメキシコ。そのため、気候も南部の低地は高温多湿、その他の地域では乾燥帯と温帯が複雑に入り組む。標高差による違いも見逃せず、風土はバラエティに富んでいる。首都メキシコシティの標高は2,250m(富士スバルライン5合目約2,300mに匹敵)。日本との交友関係は1609年からで、塩やアボカドの輸入量はメキシコが上位を占める。

古代紀元前?16世紀ごろ

メキシコの主要な食材は紀元前数千年に出揃っていた

2万年以上前から人類が住んでいたと言われるメキシコ。紀元前6800?5000年頃には、後にメキシコ食文化の礎となるトウガラシや、アボカドなどの栽培が始まります。紀元前5000?3400年になるとトウモロコシが登場。インゲンマメの栽培も始まり、ここでメキシコ料理の基礎となる3つの食材が出揃います。その後、紀元前1200年頃には、メキシコに初めて文明社会を築いたオルメカ人が出現。ユカタン半島を中心に繁栄し、暦や壮大なピラミッド建築など高度な文明を築いたマヤ文明や、スペイン人の征服まで中央部で栄華を誇ったアステカ文明など、地域や時代によって様々な文明が花開きます。当時、メキシコには家畜がいなかったため、肉類は、七面鳥やウサギ、鹿を狩猟する程度で、たんぱく源は主に豆類で摂取。現在のようにトウモロコシを主食にし、トルティーヤや、タマレス(トウモロコシの粉を丸めて蒸したもの)にするなど工夫していました。その主食のお供が「モレ」。モレは、先住民のナワトル語で「いろいろな食材をすり潰して合わせたもの」の意味で様々なソースの総称。トウガラシやトマトやアボカドなどが、すり潰されて食べられていました。「プレ・イスパニカ(スペイン文化到達前)」時代から、素朴ながらも彩りのある食生活があり、それはスペインの文化到来までほぼ変わらず、口承によって受け継がれていたのです。

メキシコ料理の命、3つの食材

土着の作物、トウモロコシは主食として炭水化物。トウガラシは辛み以外に、うまみを持つだしとして、野菜としてビタミン源に。インゲンマメは重要なタンパク源にと、古代からバランスのとれた食生活を送っていました。

★トウモロコシ
主食のトルティーヤに使われるのは、日本でなじみ深い黄色いトウモロコシではなく、白いトウモロコシ。乾燥させたトウモロコシをすりつぶして「マサ」という生地を作り、トルティーヤを作ります。

★トウガラシ
何十種類もあると言われるトウガラシは、メキシコでは「チレ」と呼ばれます。辛さだけでなく、メキシコのチレは、昆布のようなうまみや、海苔のような風味を持つものもあり、料理によって使い分けられています。

★インゲンマメ
メキシコでは、フリホーレスと呼ばれるインゲンマメは、金時豆や、黒豆など多数の種類があります。重要なたんぱく源として、煮込んだり、ペースト状にしたりして、トルティーヤなど主食とセットで摂取します。

中世16世紀?17世紀ごろ

スペインのコンキスタドール(征服者)、エルナン・コルテス。キューバ総督ベラスケスの命令に反し、メキシコを侵略した

ヨーロッパ食材と技術の融合で壮大なるフュージョンの始まり

「メキシコ料理は、今から年も前からすでにフュージョンしていた」とは、メキシコの有名な料理家パトリシア・キンタナの言葉。大航海時代の1519年、スペインの侵略によって、ヨーロッパの国々から、それまでメキシコにはなかった様々な食物が流入してきました。米や小麦などの穀物、牛や豚、羊などの家畜、タマネギやニンニク、オリーブ、レモン、コリアンダーなどです。中でも、メキシコ料理に画期的な変化を与えたのは豚の存在。豚から取れるラードによって、揚げる、炒めるという調理が可能にヨーロッパ食材と技術の融合で壮大なるフュージョンの始まり中世16世紀?17世紀ごろなります。今では国民食と言えるポークを挟んだタコスも、トウモロコシの生地を揚げたタキートスも、豚が入ってきたが故の料理です。また、スペインの占領によってキリスト教の布教も始まります。当時、本国から来た司教など、地位の高い人をもてなすのは修道院の仕事でした。ヨーロッパからの訪問者は、まず海沿いのベラクルスから上陸。そこから、メキシコシティに向かう中継地点に当たるのが、プエブラ。メキシコを代表する伝統料理「モレ・ポブラーノ」は、客人をもてなすためにプエブラのサンタ・ロサ修道院で修道女たちがごちそうを作っていたが、なかなかピンとくる味に仕上がらない。それなら…と、手近にあったメキシコ原産の伝統食材チョコレートを混ぜたのが始まりと言われています。得も言われぬ複雑な味わいを持つモレの誕生秘話。フランス料理が王侯貴族と共に発達したように、メキシコ料理は位の高い宗教者に向けて料理の腕を磨くことで、発達してきたわけですが、スペイン食文化に染まるというわけではなく、古代から受け継がれてきた伝統的な食材や料理をベースに、フュージョンしてきたのです。

メキシコ料理を変えた4つの食材

新・旧大陸間における物の行き来「コロンブスの交換」。メキシコ原産のトウガラシやトウモロコシは世界の食文化に絶大な影響を与えましたが、今やメキシコ料理に欠かせない食材もスペインから持ち込まれました。

☆タマネギ
中央アジアが原産と言われる。タコスなどに添えられるサルサは、ベースになるタマネギが必須。ワカモーレや、素朴な代表的豆料理フリホーレス・デ・オージャなどタマネギはすっかり浸透しています。

☆ニンニク
タマネギと同様、サルサ作りなど、メキシコ料理全般に渡って欠かせない存在。スペイン料理の定番、ニンニクのスープは、メキシコでも朝食に登場します。メキシコの家庭ではニンニクのストックが大量にあるとか。

☆家畜
牛や豚、羊が持ち込まれる以前は、主なタンパク源は豆。食肉の流入はメキシコ料理のバリエーションを広げました。豚の皮をラードで揚げたチチャロンや、バルバコアなど幅広く定着。

☆コリアンダー
地中海沿岸原産。スペイン語で「シアントロ」。代表的な緑のソース、サルサ・ヴェルデや、ワカモーレ、セビーチェ(魚介のマリネ)などあらゆる調理で登場。料理の仕上げに添えられることも多く、なじみ深い食材。

現在に受け継がれる2つの伝統

左【祭事】 メキシコで最も重要な宗教行事である、メキシコ版のお盆「死者の日」のお祭り。古代から続く伝統行事を元になっており、カトリックの祝日にあたる11月の最初の2日間、街中はカラフルな骸骨の人形などが飾られ、故人の帰りを賑やかに祝います。こういった宗教行事と食が密接につながり、生活の中心になっているのがメキシコ料理の特徴です。右【調理道具】昔からメキシコの台所に伝わるのが、この「モルカヘルテ」。メキシコの火山の石でできた伝統的な石臼で、サルサを作る際に活躍します。チレやトマト、アボカドなど、食材をモルカヘルテですり潰すと、食感を残したまま、辛さも増し、香りも立ち、ミキサーなどで作るよりもおいしいと言われています。

脂が生んだ新料理

スペイン人がメキシコにもたらした豚は、食肉としてだけでなく、調理方法そのものに大きなインパクトをもたらします。それまで、メキシコ先住民の調理は、蒸す、焼く、煮る、茹でるが基本でしたが、豚からラードをとるようになると、新たに、揚げる、炒めるという調理方法が加わります。揚げ春巻きのようなタキートスや、トウガラシをベースにしたソース、モレといった、メキシコらしい伝統料理もラードがなければ生まれなかった料理。

左【モレ・ポブラーノ】モレは地域や家庭で味が異なり、メキシコの「おふくろの味」と言われることも。代表的な「モレ・ポブラーノ」の場合、数種類のチレやナッツ、フルーツなどをラードで炒めた後、チョコレートと煮込んでいきます。右【タキートス】小ぶりなトルティーヤで鶏肉などの具を筒状に包み、ラードで揚げたもの。ラードで揚げると独特の香ばしさや深みが出ておいしいため、メキシコ料理の揚げ物にはラードが使用されることが多い。

“古代~中世”メキシコ年表

B.C.30000年ごろ
アジア東北部のモンゴロイド系狩猟民族がベーリング海峡をわたりアメリカ大陸に進出。B.C.20000年ごろにはメソアメリカ(メキシコを含む中央アメリカの文化圏)で先住民の活動が開始される。

B.C.7000年ごろ
メキシコ高原テワカン盆地で人類の狩猟、採集活動が確認される。

B.C.1200年ごろ
メキシコ湾岸ベラクルス地方に巨石人頭像で有名なオルメカ文明が誕生。アメリカ大陸の最も初期に生まれ、メソアメリカ文明の母体となり「母なる文明」と呼ばれた。

B.C.500年ごろ
メキシコ南部オアハカ周辺にサポテカ人の文明が発生。モンテ・アルパンに神殿が建設される。このモンテ・アルパンは祭祀センターとして紀元800年頃まで繁栄する。

B.C.400年ごろ
このころまでに、現ベリーズ・グアテマラ周辺に先古典期マヤ文明が誕生する。

B.C.200年ごろ
メキシコ中央高原に太陽のピラミッド、月のピラミッドで有名なテオティワカン文明が誕生。その後、紀元6世紀ごろまで隆盛をきわめる。

1000年ごろ
テオティワカン滅亡後、メキシコ中央高原にトルテカ文明が栄える。

1325年
トルテカ人に代わって中央高原を制圧していたチチメカ族の一派アステカ人が、メキシコ盆地制圧の活動を開始。現在メキシコシティがある場所にテノチティトランを建設。中央アメリカ一帯に勢力を広げる。このころ大規模なチナンパ(水上に水草と泥を重ねて湖上にトウモロコシ畑などを作る、紀元前からの伝統農法)が作られ、鉄器を持たず、畑を耕す牛や馬もいない文明において、都市の多くの人口を支えていた。

1492年
コロンブスがアメリカ大陸に上陸。ヨーロッパで新大陸進出への機運が高まる。

1519年
キューバ在住のスペイン人が奴隷確保のため、メキシコ探検隊を2度出すも失敗。エルナン・コルテスが第三次メキシコ探検隊に命じられるも、本心ではメキシコを征服するつもりで出航。ベラクルスに上陸し、次々とアステカの町を侵略。

?1521年
アステカの首都テノチティトラン陥落。以後300年もの間スペインの植民地(ヌエバ・エスパーニャ)となる。

1545年
チフス流行。16世紀末にはスペイン征服前に2500万人いたという先住民の人口が100万人まで減少したという資料も。このような苦難に遭の中、メキシコ先住民は、支配されながらもスペイン文化を取り入れつつ、独特の混血文化を形成していった。

Text:浅井直子

※こちらの記事は2015年6月20日発行『メトロミニッツ』No.152に掲載された情報です。

更新: 2016年10月28日

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