”コク”って何?#1

様々な人たちの用語解釈集

『コク語辞典』を引いたら。

Photo 牧田健太郎 Text 唐澤理恵 Illustration西田真魚

少し肌寒くなり、いよいよ本格的な“コク”の季節が到来しました。あの「ミルクのコク」なんて言う時の“コク”です。皆さんは、その言葉の意味を説明できますか?「コクがあってマズい」とは言いませんので、必ず「おいしい」につながることまではわかりますが、頭の中のイメージをまとめるのはなかなか難しく、これまで私たちもぼんやりしていたのです。誰でも知っている言葉なのに、調べてみる限り、どうやらきちんとした定義も確立されていないようで、解釈もきっと人それぞれ。そこで今月の特集は、“コク”に迫ってみたいと思います。様々な方に“コク観”をお聞きして、アーカイブ化。それを『コク語辞典』というカタチで展開したいと思います。

様々な人たちの用語解釈集

『コク語辞典』を引いたら。
コクとは何か?を探るためにまずは、東京で活躍される料理人・作り手の方々のコク語辞典を引いてみました。ここに登場するのは、各店のメニューの中で最もコクのある料理や飲み物です。どうぞ、コクをイメージしながら、ご覧ください。

こく【井上旭さんの場合】

単一な味わいのさらに奥にある、食材の個性が凝縮されたもの。料理人の経験によって得られる「技術の積み重ね」と「人間性の奥深さ」によって、より深いものとなる。
―――「シェ・イノ」シェフ(京橋/フランス料理)

経験からコクを知り、深める。料理も人間も同じこと

料理の道を志したのは弱冠15歳、現在御年71歳。実に半世紀に渡り日本のフランス料理界を牽引し続け、今なお現役の巨匠こそ、井上旭シェフその人です。フランスの「マキシム・ド・パリ」、「トロワグロ」といった名門で腕を磨き、フランス料理の命とも言われるソースは“ソースの神”と呼ばれたジャン・トロワグロから直接継承。日本一のソースの使い手として名高い井上さんの料理は、今までに各界のグルメたちを魅了してきました。ひと口含んだだけで、上質なお酒のように人を酔わせるあのソースには、感動を呼ぶコクがある…井上さん、あのコクの正体は、一体何ですか?そう問うとニヤリと笑い「料理だけにコクがあると思っちゃいけないよ。人間性のコクを考えたことはある?」とひと言。

【仔羊のパイ包み焼き“マリア・カラス”風】
フランス修業から帰国後、羊と言えばマトンが主流だった日本に美味しい仔羊料理を広めるべく考案された、まごうことなき井上さんの代表作がこちら。稀代のプリマドンナであるマリア・カラスが「マキシム・ド・パリ」で好んで仔羊を食べていたことから命名された。パイで包んでうま味を閉じ込めた仔羊の背肉の中央には、フォアグラとトリュフが。ソースは、コニャックやポルト酒などを煮詰めるトロワグロ直伝「ソース・ペリグー」。仔羊のポテンシャルを最大限に引き出すソースの底力に、コクとは何かの井上さんの答えが垣間見えるよう。“官能的”という言葉がそのまま料理に姿を変えた、まさに人を酔わせるひと皿。(7,990円)

「料理で言えば、あまたの食材の個性の凝縮。人間と同じだよ。色々な経験を積んで引き出しが多い人ほど、深みも濃度もある。人間にコクがなければ、味のコクなんて出せないし、理解することもできないはず。その人や国によって、コクのあり方は違うけどね」。まだフランスへ行く日本人シェフが少なかった時代、21歳で現地へ渡った井上さんは、日本人である自分とフランス人の感覚の差に衝撃を受けたと言います。「初めは、どうしたらこんな味わいを思い付くんだろうと驚きだった」という井上さんがその味をものにできたのは、どんなことにも好奇心を持ち、自ら経験すること、そして「自分ならこうする」と探求し続けたからに他なりません。

「技は真似できても、感性は真似できないのだから、経験を積んで理解するしかない。だから外国人の女性ともたくさん付き合ったよ(笑)。帰国後『銀座レカン』の料理長になった時は、レシピを全部破り捨てたんだ。ただレシピ通りに作ったところで、料理にコクなんて出ないんだから。芯をしっかり持っていれば、どんな状況にも対応できるんだよ」。今回用意された“コクの料理”2品は、そうした自身の歴史の賜物。「仔羊のパイ包み焼き“マリア・カラス”風」と「舌平目のブレゼ“アルベール”ソース」、どちらも「銀座レカン」時代から続く井上さんのスペシャリテです。仔羊は、当時「マキシム・ド・パリ」の顧客だった伝説のオペラ歌手、マリア・カラスにちなんだもの。「彼女はギリシャ系だから、牛ではなく羊を注文していたんだ」。

【舌平目のブレゼ“アルベール”ソース】
白身魚の骨で取ったフュメ・ド・ポワソンとフォンドヴォーをベースに、エシャロットやシャンピニオン、たっぷりのベルモット酒を煮詰めたアルベールソースは、「マキシム・ド・パリ」で30年以上に渡って活躍した名物メートル・ド・テル(給仕長)の名前を冠したもの。澄ましバターとパン粉で焼くふわりとした食感の舌平目に、濃厚なソースが絡む。「マキシム・ド・パリ」の名物料理ではあるが、フュメ・ド・ポワソンの取り方などを独自に変えることで深いうま味を加え、井上さんが「もっと美味しい」と胸を張る自慢の1品に。(5,400円)

一方、舌平目は「マキシム・ド・パリ」のスペシャリテに「自分だったらもっと美味しくできる」とソースを変えて完成させた1品。軽めのフランス料理が流行する中、伝統的な料理を作り続けるのは、昔からあるいいものを残さないといけないという先駆者たる責任感から。そして、手を加え井上さんなりのひと皿に仕上げるのは、本国にも負けないフランス料理を作るという気概から。「何事も続けることで奥行きが出るもの。私は55年間も続けてるんだから(笑)」と語る井上さんは、コクとは人間性そのものだということを、身をもって示してくれているのです。

井上旭さん

1945年、鳥取県生まれ。21歳で渡欧、「トロワグロ」、「マキシム・ド・パリ」などの名だたる名店で修業する。7年後に帰国、31歳の若さで「銀座レカン」の料理長に就任。84年、オーナーシェフとして「シェ・イノ」をオープン。2007年には「フランス農事功労章」受章。サミットなど国際的なイベントでも料理やサービスを担当する

Chez Inno
☎03・3274・2020
東京都中央区京橋2・4・16 明治京橋ビル1F
営11:30~14:00LO、18:00~21 :00LO 日定休

※こちらの記事は2016年9月20日発行『メトロミニッツ』No.167に掲載された情報です。

更新: 2018年4月19日

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