#6 料理と教室

東京ガス料理教室の変遷から辿る
料理教室と各時代

Text:菊池貴広(しろくま事務所)

料理教室と各時代

大正時代からの長い歴史を持つ「東京ガス料理教室」。当初の目的は、普及し始 めた「瓦斯竈(ガスかまど)」の使い方を教えることでした。薪からガスに移り 変わる時代に開かれ、人々のニーズに応えて変化し続けた料理教室。家庭の台所とともに歩んだ、100年以上にわたる歴史を時代の変化とともに辿ります。

「東京ガス料理教室」が初めて開催されたのは大正2年。薪や練炭からガスへと、家庭で使われる熱源が変化し始めた時代でもあります。それから現在まで、料理教室が辿った約100年の歩みを東京ガス『「食」情報センター』所長の工藤裕子さんに伺いました。

明治〜大正時代

「当社が日本初のガス調理器『瓦斯竈』を発売したのは明治35年です。しかし、当時はまだ非常に高価で、使用できるのは一部の裕福な家庭に限られていました。ガスが一般家庭に普及したのは、大正時代に入ってからです。料理教室を開いたのも、『ガス』という新たなエネルギーを使ってどんな料理ができるのか、どれだけ生活が便利になるのか、実際に体験していただくことが一番の目的でした」
大正3年に開催された第2回・東京ガス料理教室の献立は、「筍ご飯」「煮しめ」「薄葛汁」の3品。特別なものではなく、日常のメニュー。まだ目新しかったガス機器の使い方をわかりやすく説明するために、当時の一般的な家庭料理が選ばれたよう。この頃の教室では、ガスの消費量や料金なども計算して受講者に伝えていたという。 ※写真の料理は当時のメニュー名やレシピをもとに再現したものです。

[当時の調理器具]
家庭用ガスかまどが登場
底が厚く丸い伝統的な羽釜をガスで加熱する瓦斯竈。それまでは、かまどに火をつけて薪を燃やし、付きっきりで炊いていたため、マッチ1本で火がつき、火加減の調節も簡単な瓦斯竈は画期的な商品だったと考えられる。

家庭の熱源が薪や練炭からガスへ
明治35年に日本初のガス調理器「瓦斯竈」が発売され、大正時代には一般家庭にもガスを使う生活が普及していきました。明治から大正初期にかけては、暗い台所で薪や練炭を使って煮炊きをし、一汁三菜を基本とする家庭が多かったようです。大正6年に創刊された『主婦之友』でも、料理記事は「たたきごぼうのうま煮」など地味なものが中心。洋食ブームに沸いたのは、大正後期からです。

昭和初期〜昭和20年代

大正から昭和初期にかけて、大衆に西洋文化が浸透し始めると、トンカツ、シチュー、オムレツなどの見たこともないハイカラな料理が雑誌の誌面を飾り、誰もが憧れるようになりました。特に、昭和初期には食文化が大きく変わり、そのニーズに応えるように、料理教室も数を増やしていきます。「昭和初期には、日本橋 、四谷 、本所 、 荏原、渋谷の5カ所で料理教室を定期開催し、献立にも洋食を多く取り入れるようになりました。『一汁三菜』に代表される家庭料理は親から教わることができますが、洋食の作り方は他で学ぶしかありません。そのため、教室では洋食が人気だったようです」。
西洋料理が入ってきた頃。洋食の中でも、ハイカラなオーブン料理は特に人気が高く、昭和11年には東京ガスからオーブン料理を扱う小冊子「料理の栞」が発行された。写真は、同書に掲載された「フーガデンビーフ」「マカロニオイスター」「スイートポテト」。料理教室にも日常の食事ではなく、華やかな料理が求められた。※写真の料理は当時のメニュー名やレシピをもとに再現したものです。

[当時の調理器具]
ガスを使うオーブンが活躍
写真は大正時代から使われていた「キング家庭用レンジ」。下の白い扉を開くとオーブンになっている。ほかには、ガスコンロの上に載せ、火熱を下から対流させて蒸し焼きにする「天火オーブン」も使われていた。

土間や板の間から、機能的な台所へ
昭和に入ると、床に座って煮炊きをする「坐式」から、現在のような立ち働き式へと台所が変化しました。伝統的な土間や板の間が消え、流しも煮炊き台も同じ高さになります。 雑誌ではハイカラな洋食や西洋式の生活がたびたび紹介され、多くの女性が「主婦」に憧れた時代でもあります。しかし、戦争で全てが暗転します。食料は配給制となり、節約が奨励され、鉄製の調理器も接収されました。

昭和30年代〜昭和後期

昭和15年から27年にかけては戦争のために中断されたものの、終戦から10年後の昭和30年には、東京の荏原に初の直営料理講習所を開設。時代は高度経済成長期に突入しました。
「ダイニングキッチンが一般的になり、家の奥にあった『台所』が表へ出てきたのがこの時期です。茶の間が消え、ちゃぶ台はイス式のダイニングテーブルになりました」 次々と新しい家電が発売され、食材も豊富になり、人々の生活は豊かになっていきます。やがて昭和後期になると、自動消火機能付きのガスコンロや、タイマー付き自動炊飯器などが発売され、調理器も多機能化をたどります。そして迎えた平成時代。共働きや独身世帯が増え、料理教室の在り方もまた変化していきました。
戦時中の休業を経て再開された東京ガス料理教室。写真は、昭和30年代の献立の一 例として再現された「ミートボール」「クラムチャウダー」「ストロベリープディング」。この頃には、洋食がハレの日だけでなく、日々の食卓に登場するようになっていた。そのため、親から教わる機会が少ない洋食の作り方が教室に求められるように。

[当時の調理器具]
スイッチ1つの自動炊飯器
家事の労力を大幅に軽減させたのが、スイッチ1つでご飯を炊ける自動炊飯器。昭和32年に発売されたガス自動炊飯器は、その前年に発売された電気式よりも 火力が強いため、ご飯をよりおいしく炊けると好評だった。

暗い「台所」から明るい「キッチン」へ
戦争が終わり、高度経済成長期に突入した日本。社会は男性に「企業戦士」としての役割を求め、「主婦」が家庭の主役となった時代でもありました。最新の家電が続々と発売され、暗くて狭い「台所」は、機能的で明るい一体型のダイニングキッチンとなり、調理と食事の場所が1つになりました。そして、ダイニングテーブルは食事をとりながら家族がだんらんする場所になったのです。

平成〜現在

写真は、仕事に家庭に忙しい現代人に向けて平成18年にスタートした、東京ガス料理教室の時短調理「ラ・クチーナ・エスプレッサ」で作る「白身魚の中華蒸し」「揚げ根菜の黒酢和え」「海老ワンタンスープ」「グリルで簡単エッグタルト」。段取りを考え、3口コンロとグリルを同時使用し20分で本格的な料理4品を完成させる。
「今は、インターネットで簡単にレシピが検索できる便利な時代です。だからこそ、料理教室を通じて、調理をする時の音、香り、食材の変化を体験し、料理の楽しさを味わっていただければと思っています」 現在、東京ガス料理教室では、全コースに地球環境を考えた「エコ・クッキング」の理念を導入し、時短や食育をテーマにしたコースも用意されています。また、昔と違い、料理の習得ではなく、料理教室での時間や、誰かと一緒に料理を作ることを楽しみに通う人が増えたそう。ガス調理器具の普及を目的に開かれた料理教室は、時代とともに大きくその意味や目的を変え、今も続いているのです。

[当時の調理器具]
自動炊飯もできるガスコンロ
現在は、センサーが自動で火加減を調節して最適な温度をキープしたり、お鍋を使ってボタン1つでご飯が炊けたり、様々な調理をサポートする機能を搭載。専用容器で多様な調理ができるグリルを搭載した機器も発売されている。

「女性=家庭」という意識が崩れた時代
共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回り、独身世帯も増
加する現在、ライフスタイルは多様化しています。女性の社会進出と共に「女性=家庭」という意識は崩れ、料理や家事が好きな男性も珍しくはありません。新築のマンションや一戸建てには、かつての「居間(リビング)」がセットになったリビング・ダイニング・キッチンが備えられ、より機能的なシステムキッチンも普及しています

100年の歴史を持つ「炎」の料理教室 :東京ガス料理教室

大正2年の開始以来100年以上にわたり、「炎」で作る料理のおいしさと楽しさを 伝え続ける料理教室。東京ガス専属講師が調理指導を担当し、最新のガス機器で調理をサポート。初めて料理に挑戦する人や、もっと料理を楽しみたい方、親子など、様々な人を対象に、和食、洋食、パン、お菓子まで 多彩なコースを用意。入会金不要で、 教室は1回完結型(一部コースを除く)です。近くの教室で、気軽に参加してみてはいかがでしょうか。

首都圏21拠点で開催中!
詳しくはホームページより
東京ガス料理教室
http://www.tg-cooking.jp/

※こちらの記事は、
2017年8月20日発行『メトロミニッツ』No.178に掲載された情報です。

更新: 2017年12月30日

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