|異彩のビストロ[4]|

その進化の裏側を追いかけてみた
【ビストロ概論】第4章
「第一次ビストロブームの到来」

1970年代以降、同じ時代を歩んできた日本のフランス料理とビストロ

パリの街には毎日通える安くて美味いビストロがあり、庶民がミシュランの星付き店へ行くことなど滅多にあるものではない、ということを知っている日本人がまだ少なかった時代。「最初から普通の人々がどんな料理を食べているのかに興味があった」と言う、シェフの勝又登さんは1969年に渡欧し、「フランスへ料理の修業に出たら、ミシュランの星付き店の厨房を目指す」という発想が当たり前だった他の日本人シェフたちを尻目に、異なる道へ向かいました。そう、パリやニースの"ビストロ"です。そして帰国後の1973年、勝又さんが西麻布にオープンさせた「ビストロ・ド・ラ・シテ」はパリの小粋なビストロの雰囲気をまとい、これぞビストロ!という本格料理を食べることができ、その評判は瞬く間に東京中を駆け巡りました。お客は日本人のみならず、外国人も大勢集まり、マスコミに大きく取り上げられ、この後、すぐに始まる「ビストロブーム」の火付け役となったのです。

フランス料理と言いながらも日本独自の"西洋料理"を提供していた店もまだ多かった1970年代の東京で、本場さながらのビストロを開いた傑物がいた…。日本のビストロの歴史は、このビストロ・ド・ラ・シテから始まったと言っても過言ではありません。というわけで、最後に「東京のビストロ」とそれを取り巻く「東京のフランス料理」の時代を振り返ってみたいと思います。

70~80年代、帰国組がもたらした黄金期第一次「ビストロブーム」もこの頃に

1964年の東京オリンピックも無事に終え、冷静さを取り戻した東京は景気も良好。そんな中で、1966年には銀座にパリで最も華やかなレストランだと言われた「マキシム・ド・パリ」が、1970年代に入ると「ロオジエ」や「レカン」といった高級レストランがオープンし、人々の心は少しずつ「フランス料理」へと傾いていきました。やがて1980年に向かうに従って、日本のフランス料理界には明るい話題が急増。それまでフランスへ修業に出ていたシェフたちが次々と帰国し、本場の味と技術を持ち帰ったのです。それは勝又登さんをはじめ、井上旭さん、高橋徳男さん、石鍋裕さん、鎌田昭男さん、熊谷喜八さん、三國清三さん、平松宏之さんなど、この後の時代を背負っていくことになる猛者たちでした。

日本人シェフたちが本場・フランスで修業しやすい社会になったのは高度経済成長を迎えた、1960年以降。それまではフランスに渡る機会に恵まれる料理人などごく一握り。よって、フランスで過ごしていたシェフたちの帰国ラッシュは、日本のフランス料理界を"本物"、へグッと近づける大きな転換期になりました。特に1970年前後と言えば、フランスではエスコフィエが大成した古典的なフランス料理が主流だった時代から、「ヌーベル・キュイジーヌ」に目覚めていた頃。日本人シェフたちにとっては、新旧のフランス料理を体験することができる絶妙のタイミングだったと言えるのです。

ヌーベル・キュイジーヌとは、いわば"軽さ"、"素材の尊重"、"創造性"などを兼ね備えた料理の潮流。世の中的に健康や自然環境への志向が高まり、技巧を凝らし、バターなど脂肪多めで重めのフランス料理から、新鮮な食材を生かし、煮込む時間を短縮するなど、シンプルに調理する軽い料理が良しとされる時代になりました。

そんなヌーベル・キュイジーヌと直に触れて帰国した日本人シェフたちの中には、店の冠に「ビストロ」とうたう街場のレストランで働き始める人も多くいました。当時、東京の街にはまだ本格的なレストランはほとんどなく、フランス料理と言えば「ホテルのレストランで食べる高級料理」というイメージでした。しかし、1970年代が進むにつれて街にも店が増え始め、また1973年にオープンした人気店「ビストロ・ド・ラ・シテ」の影響もあってのことか、「本場のヌーベル・キュイジーヌを提供するレストラン」という思いで「ビストロ」と名乗っていた店もあったようです。いずれにせよヌーベル・キュイジーヌを生かした彼らの料理は、軽く、素材を生かす点などが日本人にも受け入れやすく、当時ヨーロッパのファッションに敏感だった女性の間で人気となりました。そして、ファッション誌やメディアに取り上げられ、かつては富裕層の食事だと思われていたフランス料理が一般OLの間でも親しまれる時代に。おかげで「ビストロ」という名も広く浸透し、これが日本初のビストロブームだったと言われています。

1980年代には、日本のフランス料理は黄金期を迎えました。ビストロブームの担い手だったスターシェフたちが新しい店を作り始め、メディアを賑わせる一方で、フランスから一流シェフたちが頻繁に招かれるようになり、世間に華やかな話題を振りまきました。

さらに、その人気の裏側を支えたのが食材の変化。かつては入手困難だったトリュフ、キャビア、フォアグラなどの高級食材が、輸送技術の発展で鮮度を保ったまま輸入できるようになり、店々はさらに切磋琢磨して極上のフランス料理を作り上げていきました。

飛躍した、日本のフランス料理

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日本のフランス料理界に本格的な料理が作れる基盤ができたのはわずか50年程前のこと。以後、着実に“高み”を目指し、それが世界的な基準で評価されることになったのが、2007年の『ミシュランガイド東京』の刊行。日本のフランス料理の著しい発展を再認識するのには十分な結果だった。

Text:野中ゆみ(メトロミニッツ編集部)
coordinate:勅使瓦加奈子(CREMA)

※こちらの記事は2015年8月20日発行『メトロミニッツ』No.154掲載された情報です。

更新: 2016年10月20日

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