|異彩のビストロ[3]|

その進化の裏側を追いかけてみた
【ビストロ概論】第3章
「ボボス族の影響力」

2000年以降、ネオ・ビストロの人気がうなぎ上りに。その背景を支える“ボボたち”

ボボ(BOBO)とは?
ボボたちは、必ずしも金持ちとは限らないが(ただし中上流層以上)、安定した暮らしを送っている。職種は専門職や研究職、芸術家、ジャーナリストといったネクタイを締めない仕事をしている人が多く、文化や環境問題に高い関心を持つ。住まいは、「ブルジョワ的な西部、中下層労働者の東部」に大別されるパリにおいては、西部をあえて避け、東部に進出。安い家賃で大きめの部屋を借りたり、中には、町工場や商店をリノベーションして住んでいる人も。そんな彼らは、誰もが自身のことをボボだとは決して言わない(認めたくない)

突然ですが、「ボボ」という名を聞いたことはありますか?つまり先に挙げたような人たちのことですが、例えば2001年にパリ市長となったドラノエ氏の初当選を支持したのは、ボボたちの存在だったとされています。そして、昨今のネオ・ビストロもまた、ボボたちからの絶大なる支持を得て、大きなブームになっているそうです。ボボとは「ブルジョワ=ボエーム(英:ボヘミアン)」の通称。現在、主に30〜40代の人たちを中心に構成されていますが、フランス社会でその存在感が大きくなってきたのは2000年以降のことでした。

1970年代以降、高度経済成長の末期の頃に、チェーンのレストランやファストフード店などの手軽に食べられる店がフランス各地にでき始め、街から次第にビストロの影が薄くなっていきました。

やがて、1990年代には不況に突入。1994年の3月には数回にわたって学生たちが大規模なデモを起こし、暗い話題は増えるばかり。何せ当時の失業率は若者の4人に1人の割合で、大学生の76%が学歴に見合う職には就けないと言われていたほどです。
そんな中、イヴ・カンドボルド氏がネオ・ビストロの先駆け「ラ・レガラード」をオープンさせたのは1992年。景気の良くない街で、多くの人の心をつかみ、人気を博していきました。そして、この後、ガストロノミー出身のシェフたちによる「ネオ・ビストロ」への進出もさらに加速していきます。

そして2000年に突入した矢先、また大きな騒動が巻き起こります。10月、フランスを代表する大手スーパーマーケットで1tにも達する量のBSE感染の疑いがある牛肉が売られていたことが判明したのです。そのニュースはフランス中を震撼させ、パニックに陥らせ、
そして人々は食の安心・安全をより強く意識するように向かわせることになりました。有機農業への関心も急速に高まり(2001年には有機農業庁、開設)、顔の見える流通網(トレーサビリティー)を経た食品を選ぶ人が増え、テロワール食品(地元産の食材)が好まれる現象が起きたのです。そして、この頃から、街にはボボたちの姿を見かけるように。ボボたちはお気に入りのネオ・ビストロを見つけ、顔なじみの店主と会話し、心の底から美味しいと思える食事を楽しむことに価値を見出した…。

「ネオ・ビストロが生まれたのは、時代が求めたから」(フーディング・ジュリアさん)。まさにその言葉に尽きるのかもしれません。ちなみに、ガストロノミーのためのガイドブック『ミシュランガイド』も、美味しくてリーズナブルな店「ビブ・グルマン」マークを2006年から導入しました。

Photo三上功

変わりゆく、パリの街並み
パリ全20区のうち、近年、風景が変わったエリアがあるという。その理由は、“ボボの移入”。例えば、もともとは中下層労働者の町で、移民も多く暮らす10区のサンマルタン運河沿いは、80年代まで寂れた倉庫街だったが、ボボたちが住み始めてからカフェ、ギャラリーなどが立ち並ぶように。

Text:野中ゆみ(メトロミニッツ編集部)
coordinate:勅使瓦加奈子(CREMA)

※こちらの記事は2015年8月20日発行『メトロミニッツ』No.154掲載された情報です。

更新: 2016年10月13日

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