ビストロの現在地 #6

その“文化”はいかにして育まれてきたのか

フランスのビストロ学

Text Wakana Kawahito  Photo Hiroki TAGMA

今月は“ビストロ”がテーマの特集ではありますが、実は「ビストロとは何?」と問われると答えに窮してしまいます。なぜなら、ビストロは時代とともに進化するものだからです。つまり、一流レストランのように定まった形式がある店ではなく、庶民的なビストロは各時代の社会と深いつながりがあり、人々の求めに応じて価値観も変化させてきました。ここでは、フランスがこれまで築き上げた「ビストロ」という文化についておさらいします。

オーヴェルニュ移民が〝ビストロ〞を作った

改めてお伝えすれば、「ビストロ」の定義は明確ではありません。それは、ビストロとは文化であり、フランスの〝エスプリ〞(精神)に宿るもので、単なるビストロが生まれた、世紀とはどんな時代?〝店の業態〞などではないからです。そんなエスプリが生まれた背景と、フランスの近代化の歴史には切っても切り離せない深いつながりがあります。時代を遡れば世紀前半、フランス各地の人々が貧しい農地を離れ、地方ごとに集団を組んでパリへ仕事を求めて上京してきました。その中に、フランス中南部・オーヴェルニュ地方の人たちの姿がありました。出稼ぎの季節労働者である彼らがパリで就けた仕事は、水や石炭の運搬業やワイン商人などの肉体労働ばかり。ゆえに、その多くが若い男性だったそうです。その後、世紀半ば〜後半、産業革命による技術革新やパリの大土木事業により、都市部での仕事が増加。労働力需要が高まり、地方から家族で定住する人も増えていきます。そのためパリの人口は爆発的に増え、それに伴い商業が発達。その時、運搬や行商で資金を貯めていたオーヴェルニュ地方の人たちの中に、水や石炭の運搬業やワイン商人などの経験を生かして、木材や石炭、飲料を販売する小売店を始める人が出始めます。また、それらのお店の中から、軽食を出す簡易食堂も出現。その店のほとんどがメニューは一つで、中には、店主の気分やその時

お店の冷蔵庫にあるもので適当に作るというスタイルの店もあったようです。さらに、増え続ける労働者のために、やがて簡易食堂よりきちんとした家庭料理を出すような食堂が市場や工場の近くにオープンするようになります。その名も〝ビストロ〞。ビストロは労働者の胃袋を満たし、仕事の後に杯ひっかけに来るような、庶民の憩いの場として誕生したのです。以後世紀初頭まで、パリのビストロやブラッスリーなどの飲食業の経営は、オーヴェルニュ地方の人の独擅場でした。彼らのコミュニティは結束が強く、ビジネスを始める同胞へ金銭的な援助も行っていました。パリのビストロ黎明期は、オーヴェルニュ地方の人が担ってきたのです。内装や設備は最小限で、家庭的な雰囲気の中、友達や同僚と日々のたわいもないことで笑い合う、そんな市井の人々の生活とともにあるのがビストロでした。今で言うカフェやバーの機能も兼ね備えていたのです。そこは、家庭でも仕事場でもない、労働者の止まり木のような存在。オーナーの個性が色濃く出たお店がたくさんあり、お店の方がお客を選ぶような雰囲気すらありました。インターネットや携帯電話がなかった時代、ビストロやカフェは、近所で起こったニュースを知ったり、噂話をしたりと情報交換に欠かせない場所だったのです。しかし、時は進んで年代以降、このような労働者のためのビストロというのは次第に減少していき、今日ではもうほとんどなくなってしまいました。現在、ビストロという名前がついたお店はパリに軒ありますが、昔のビストロの面影を残すお店が何軒あるのかはわかりません。

労働者の憩いの場から中産階級の日常使いの店へ

1960年代、フランスは高度経済成長時代を迎えていました。オフィスで働く中産階級が増え、人々の所得も上がり、対して労働者の数が減少していったのです。そのため労働者のための店も減少し、それに反比例するように増えていったのが、内装やメニュー「troquet」、安酒を指す「Bistrouille」が語源ではないか?など、いろいろな説が言われています。ビストロという言葉が実際に文に凝り、高級化したビストロでした。ミシェル・オリヴェがセーヌ川左岸に「ル・ビストロ・ドゥ・パリ」を開店させます。彼の父親は、高級レストラン「ル・グラン・ヴェフール」のオーナーシェフ、レイモンド・オリヴェ。しかし、子ども向けの料理絵本を出版するなど、父親とは一線を画す考え方を持っていたミシェル・オリヴェは、もう少しカジュアルなお店をやりたいと思っていました。そこで始めたのが、ビストロという名を掲げた店。それは、比較的高級志向の料理に、少し格式あるサービスと内装、その割に価格は高級レストランほどではないという店でした。内装は、当時の有名インテリアデザイナー、スラヴィックが手がけ、ビストロは流行の場となっていったのです。以後1960〜1970年代に4軒のビストロをパリにオープンさせたオリヴェは、「ビストロ」に新たな価値を加えていきました。同じ頃、その後のフランス料理界に大きな影響を与えることになる有名シェフが登場します。ホテル「ムーリス」や「ル・クリヨン」で研鑽を積み、後にヌーヴェル・キュイジー(バターや生クリームをベースにした重いソースを用いない、軽いフランス料理)を生み出したとされるミシェル・ゲラールです。若くて資金力がなかったゲラールはレストランには手が届かず、店を持つことができた唯一の手段がビストロ。パリ郊外のアニエールで小さなビストロを開きました(フランスでお店を開店する際には、営業権を購入しなければなりません。この営業権はお店の形態により価格が違うのです)。この時代、今では想像できないほど、ビストロとガストロノミーの差は大きく、格式ある高級レストラン出身のシェフがビストロを出すなんてことは想像もできない革新的なことでした。そんな背景から、年にオープンした「ポトフ」は食通の間で瞬く間に評判に。また、パリ郊外にあるお店が流行るということも、当時ではありえないことで、全てが型破りでした。このように、かつて労働者のための店だったビストロは、中産階級の人が美味しい料理を目当てに訪れる場所へと急速に進化。その後、ミシェル・ロスタンやギー・サヴォワなどの有名シェフが高級レストランを営みながら、セカンド店としてビストロを手がけるようになるなど、次第にビストロとガストロノミーの距離は縮まっていきました。そして年代に入り、ビストロはまた新たな時代を迎えることになります。ビストロからスターシェフが生まれるようになったのも今世紀に入ってから、ここ最近のこと。特に、それを象徴するのが、年に生まれた「ビストロノミー」という言葉の存在です。その生みの親は、フードジャーナリストのセバスチャン・ドゥモランさん。レストランガイド『フーディング』の会議の中で、ガストロノミー(一流レストランのような美食)とビストロを掛け合わせた「ビストロノミー」という言葉を初めて使ったと言います。ドゥモランさんいわく、「ビストロのようにシンプル内装と家庭的な雰囲気の中、ミシュランの星付きを代表とする高級レストラン仕込みの一流の技術で調理された料理を食せること。それが『ビストロノミー』です。ビストロで定番の家庭料理も、新しい解釈で作られることで、これまでにない食材が加わったり、軽さが生まれたり。創造的な料理になるのです。それが、比較的安価で提供されています」

©Atelier Robert Doisneau/Contact

19世紀~1960年代前半頃まであったビストロは、「ザンク」と呼ばれるアルミまたはステンレス製のバーカウンター、木製や鉄製のシンプルなテーブルに小さな椅子、外にはテラス席があるのが基本でした。店内には、コーヒーマシーンとビールサーバーが必ずあり、その他はお店によって様々。スポーツや政治についておしゃべりをしたり、カードゲームをしたり、音楽を演奏したり、ダンスをしたりと庶民の憩いの場でした。

更新: 2017年5月21日

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