”史上最高”と呼ぶにふさわしい!
ラディカルでアバンギャルドで革命的な
前衛派日本酒

これまで、ワインや焼酎、その他のお酒の勢力が増す中で、日本酒業界は長いこと停滞気味でした。「辛くて苦い」をはじめ、味も万人ウケするものではなく、特に若者世代には敬遠されていました。しかし日本酒は、今、パリの三ツ星レストランでワイングラスに入れられて提供されています。ニューヨークの街角にあるSAKAYAでも売られています。そして日本でも“歴史上最高の味わい”と言われるほど、全国各地で美味しいお酒が造られ、全体的に最高潮のレベルに底上げされています。その味わいは、淡い果実のような香りと爽やかな酸味を併せ持つものもあれば、キレと程よい苦みを蓄えながらもスルスル軽快に喉を落ちていくものも。それは、まるでワインを飲んでいるような気分にも、お米の香りが実に日本的だと感じさせてくれることもあります。ここまで日本酒の味わいが劇的な飛躍を遂げたのにはいくつか理由がありますが、最も注目すべきは新しい技術と価値観を備えた造り手たち(蔵元)が現れたこと。彼らは今、停滞していた時代を打ち壊すほど画期的に美味しいお酒、いわば「前衛派日本酒」を次々と世に生み出しています。

いかにして“ 史上最高の味わい” にまで到達したのか? 早わかり日本酒クロニクル

日本酒を扱う酒屋さんも、日本酒歴の長い飲み手も「日本酒史上、今が最高に美味しい!」と口を揃える今日この頃。どうしてこんなに変わったの? 日本酒を取り巻く状況と造り手にスポットを当てながら、頂点の味わいを極めるまでの道のりをひもときます。

■お酒を取り巻く話題

>>>戦後~1960年代>>>
主流は「三増酒」
 「三増酒」とは「三倍増醸酒」の略称。戦後の米不足により酒造りもままならない状況の下、もろみに水で薄めた醸造アルコールを加え、薄くなった味わいを補うために糖類や酸味料などを加えて味をととのえ、その名の通り、元の日本酒の3倍の量にしたもの。「悪酔いする」「ベタベタした甘さ」など残念な日本酒のマイナスイメージはここから。

○酒税法、大幅改正(62年)
酒税法の改定により、酒類は10種類に分類され、日本酒の区分は特級、一級、二級に。また、これまで「雑酒」と呼ばれていたウイスキー、スピリッツ、リキュールも清酒、焼酎、ビールと肩を並べる酒の1つの分類とされた。

○「ワンカップ大関」発売開始(64年)

>>>1970年代>>>
地酒が人気に
マスメディアに取り上げられたり、地方に注目が集まりつつあった時代背景などにより地酒ブームが到来。「越乃寒梅」(新潟)、「浦霞」(宮城)などが話題に上る。

○70年のワイン輸入自由化を受けてワインが台頭(72年頃?)


○日本酒の醸造数量がピークを迎える(73年)


○「純粋な日本酒とは何か」を追求する「純粋日本酒の会」(現・純粋日本酒協会)が発足(73年)するなど、この後、品質向上に向けた動きが出始める


○10月1日が「日本酒の日」に制定される(78年)

>>>1980年代>>>
吟醸酒に注目が集まる
精米歩合60%以下、手間ひまかけた造り、華やかでフルーティな香り=吟醸香が備わった「吟醸酒」がもてはやされるように。日本酒の質が高まる(80年頃~90年代初頭)。

●紙パックの日本酒が発売される(80年)

●アサヒスーパードライ発売(87年)

●日本酒の級別制度の廃止決定。現在使用されている「普通酒」「特定名称酒(純米酒、吟醸酒など)」という基準に(89年)

>>>1990年代>>
淡麗辛口ブーム到来
「淡麗辛口」と言えば新潟のお酒。すっきりした味わいは飲みやすいと評判で、たちまち全国レベルの人気を獲得。その後定着し、今もよく見かける銘柄が多数(80年代半ば~90年代)

●漫画『夏子の酒』(尾瀬あきら著)連載(88~91年)、ドラマ化(94年)

●小説『藏』(宮尾登美子著)連載(92~93年)、ドラマ化・映画化(95年)

>>>2000年代>>>
燗酒が再燃
純米酒への注目が高まると同時に、お酒本来のうまみが味わえるお燗も浮上。元々、温度帯の変化で楽しめるのが日本酒の特長。純米酒の原点回帰的な動きの中で、燗酒が見直されたのも自然な流れと言える(90年代後半~)。

●焼酎の消費量が日本酒を上回る(03年)

●漫画『もやしもん』(石川雅之著)連載開始(04年~)

●世界最大のワイン・コンペティション「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)」にSAKE部門が誕生(07年)

>>>2010年代~>>>
世界でSAKEファンが増加
世界的な日本食の流行、NYでブレイクした「獺祭」やフランスの三ツ星レストランでオンリストされた「醸し人九平次」など世界市場に目を向けた蔵元の活躍などにより、海外でSAKEファンが増加中

●日本酒・焼酎を日本の「國酒(こくしゅ)」として官・民一体で、認知度向上や輸出戦略に取り組む「E N J O Y JAPANESE
KOKUSHU(國酒を楽しもう)プロジェクト」発足(12年)

■造り手にまつわる話題

>>>戦後~1960年代>>>

京都「玉乃光酒造」、純米酒を復興させる(64年)蔵元と杜氏の関係値
SAKE COLUMN①
かつて、経営は「蔵元」、造りは「杜氏」と完全に分かれていた蔵の運営。杜氏は酒造りシーズンのみ蔵に滞在し、春になると故郷へ帰る季節雇用が基本。お互いに口を出さない関係が長く続いたものの、時代が進むにつれて、杜氏の高齢化などにより若手後継者が蔵元と杜氏を兼任する「蔵元杜氏」が増加した。




 

>>>1970年代>>>
新潟「大洋酒造」全国初の吟醸酒販売開始(72年)

SAKE COLUMN②
日本酒過渡期の年・73年
オイルショックの年として記憶される73年は、日本酒の出荷量がピークに達した年でもある(以後、下降線をたどる)。純米酒の普及を目指す「純粋日本酒協会」が発足したのもまさに73年で、今日の純米酒復権の種がまかれた年でもあった。一方、55年以降ずっと減少していた焼酎の消費量が、日本酒と逆転したのもこの頃。前年のワインブームといい業界の全盛期とも言え、以後、お酒ごとの命運が分かれた年。




 

>>>1980年代>>>

第一世代、活躍
全国新酒鑑評会で静岡県の10蔵が金賞を獲得した85年は、スター蔵第一世代の幕開け。全国初の全量純米酒蔵や「吟醸蔵」を目標に掲げる蔵も登場し、存在感のある造り手が台頭する。
●静岡・磯自慢酒造「磯自慢」発表(85年)
●埼玉・神亀酒造、全量純米酒蔵に(87年)
●「東一」醸造元、佐賀・五町田酒造、「吟醸蔵」を標榜する(88年)




>>>1990年代>>>

第二世代、出現
「十四代」と言えば一度は耳にしたことがある人も多いはず。造り手の山形・高木酒造の高木顕統さんは蔵元が杜氏を兼任する蔵元杜氏の先駆け。この後、蔵よりも造り手が脚光を浴びるきっかけとなる。
●山形・高木酒造「十四代」発表(94年)
●愛知・萬乗醸造「醸し人九平次」発表(97年)
●福島・廣木酒造「飛露喜」発表(98年)




>>>2000年代>>>

第三世代、浮上
2000年代後半に入り、いっそう蔵元の世代交代が加速。大学の醸造学科出身者や、異業種を経て蔵に戻った20代、30 代の若手後継者が、日本酒業界に新風を送り込んでいる。
●三重・木屋正酒造「而今」発表(05年)
●秋田・新政酒造の佐藤祐輔さん、蔵に戻る(07年)
●静岡・高嶋酒造の高嶋一孝さん、杜氏に就任(07年)




>>>2010年~>>>
40代の造り手たちが成熟した技で、日本酒の土台をしっかり支えつつ、20代~30代の造り手たちが、既成概念に捉われないクリエイティブな酒造りに邁進。そして今日、「史上最高の味わい」が楽しめる日本酒新時代が到来しました!




 

第一、第二世代が支える 日本酒新時代

日本酒の原体験と言えば、学生時代、安い居酒屋で先輩に日本酒を飲まされた挙句、悪酔いしてつぶれたっけ…。新政酒造の佐藤祐輔さんも「正直、日本酒を敬遠していた」と吐露しています。蔵元に生まれた人でさえ、マイナスイメージを抱く日本酒。それでもある日「運命の1本」に出合えた幸運な人たちは目を丸くします。「いつの間にこんなにおいしくなってたの!?」と。不思議なことに、下の年表を眺めてみると、戦後、日本酒の隆盛と凋落を背景に、節目節目で時代を牽引するスター蔵元が流星群のようにドッと現れては、日本酒全体を一気に底上げしています。その結果生まれた3つの世代は、現在でも「美味しい日本酒」の土台であり、存在感のある通奏低音を奏でる第一世代、日本酒が苦手な人をも取り込み、世界戦略の先駆けとなった第二世代、第一世代と第二世代をお手本にしつつ、のびのびと斬新な酒を造る第三世代。決して「世代交代」するのではなく、第一世代と第二世代が今も音を鳴らし続け、そこに若い第三世代が演奏に加わることで、分厚いアンサンブルが鳴り響く。こうして同じステージでお互いに刺激し合うことも、ますます「美味しい酒」の層が厚くなる要因の1つだと思います。

第三世代が造るのは 同世代が飲みたくなるお酒

「大学に進んだら同級生が誰も日本酒を飲んでいない。それ以前に日本酒が好きな人がいなかった。自分が蔵に戻ったら、あの同級生たちが喜んで飲んでくれるような酒を造ろうと思いました」
第三世代の蔵元杜氏からよく聞くほろ苦いエピソードですが、同世代の日本酒離れを目の当たりにした分、新しい視点の酒造りをしなやかに遂行する等身大の蔵元が増えています。例えば、注目の静岡・高嶋酒造では「地元・沼津の干物に合う酒造り」と、かなり絞り込んだ食とのマッチングをコンセプトに掲げていますし、前述の新政酒造ではワインに比べて高いアルコール度数を9度まで下げた飲みやすいお酒をリリースするなど、造り手の意図がより明確なお酒が増えています。また、ジャーナリスト、音楽関係者、モデル、商社など、異業種を経て蔵に戻る若手後継者たちが外の世界で身につけた感性を酒造りに活かしている点も見逃せません。多くの蔵でのベテラン杜氏の引退と相まって、酒質の設計からラベルのデザインまで含めた酒造りを自己表現の1つとして考える蔵も少なくないでしょう。
とは言え、「『磯自慢』と『醸し人九平次』で変わった」(新政酒造・佐藤さん)、「『飛露喜』を飲んで衝撃を受けた」(福島・宮泉銘醸、宮森義弘さん)など、第一世代、第二世代に触発された蔵元が多数なのも事実。先の世代の背中をまぶしく見つめつつ、個性の発揮と飲み手への目配りも忘れない姿勢が、結果として同世代にもおいしいと思ってもらえる酒造りに結びついているようです。

 

逆境が日本酒を強くする!? 今までと次の10年

そもそも第一世代が台頭する前までは、戦後の名残でまだまだ「三増酒」が横行。日本酒の出荷量はピークを迎え、それ以降、減少の一途を辿るなど、日本酒に大逆風が吹き始めた頃。そんな状況の下、気骨のある蔵では「酒の本質は何か?」を見つめざるを得なかったことでしょう。激動の過渡期を経て87年全国初の純米酒蔵が誕生。10年後の97年には、仏の三ツ星レストランに単身乗り込んでオンリストにこぎつけた「醸し人九平次」が現れ、その翌年には、特級畑のブドウで作った白ワインがヒントの「飛露喜」が発表されます。第三世代にも繋がる「ワインを思わせるテイストと地位の確立」の標榜はここから。07年には第三世代の筆頭、新政の佐藤さんが蔵に戻っています。さて、それでは次の10年後、2017年にはどんなスターが出現するのか?その時の日本酒はどんな進化を遂げているのか? さらに3年後開催の東京五輪で訪れる海外の人たちを、新たな日本酒ファンとして獲得できるだろうか? 今、この瞬間も進化し続ける日本酒の行方からまだまだ目が離せません。

Text:浅井直子

※こちらの記事は2013年10月20日発行『メトロミニッツ』No.131掲載された情報です。

更新: 2016年9月28日

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