心に響く「時代」や「暮らし」
|100年後まで残したい料理本[8]|

江原絢子先生たちが調べた
「日本の料理書の歩み」

集めた本は、実に800冊以上。2002年から6年にわたり、近代の日本で刊行された料理書を洗いざらい探し、調査した。その成果は1冊の本にまとめたが、未だ、調査は継続中だと言う。そんな江原先生に、近代料理書が歩んできた道のりをお聞きした。

江原絢子先生

東京家政学院大学名誉教授。専門は、日本の食文化史、日本の家庭料理の変遷など。著者は『家庭料理の近代』、共著で『日本食物史』(いずれも吉川弘文館・刊)など多数

『近代料理書の世界』

江原絢子・東四柳祥子・共著 ドメス出版・刊

近代の料理書800冊以上の調査データをまとめ、考察を加えた本。また、800冊のうち「近代料理書100選」を1冊ずつ丁寧に解説。料理書を紐解くことで見えてくる、時代と暮らしの流れ

料理書の夜明けは1900年

「近代の料理書を800冊くらい集めた結果、1900年(明治33年)頃を境に、料理書の発行数が急激に増加していたことがわかりました」。まずそう話してくださった、江原先生。その背景には一体何があるのでしょう?
そもそも近代とは、明治以降、1945年の第二次大戦までを示すのが一般的(満州事変が起きた昭和6年以降、「15年戦争」とも称し、次第に厳しい暮らしになる)。1900年代には、日本は工業化に向かい、食生活にも変化がみられるようになります。

「それまでの農業中心の暮らしから、明治政府が推し進める近代化の一環として、製糸や紡績などの軽工業が盛んに。そこで、都市部では工場などで働く給与所得者を中心に小家族が生まれ、農村部では養蚕に伴って現金収入を得る人が増加してきます。
また、国が明治になって西洋文化を積極的に取り入れようとしていた影響もあり、都市部の家族は、新しい料理を学ぼうとするようになります。一方、農村部では現金収入によって、それまでは食べていなかったような新しい食品を購入するようになり、1900年以降、日常の食生活も少しずつ変化を見せていきます。こうして暮らしに余裕が生まれると、新しい料理を試してみよう、そのためには料理書を買ってみよう、となる。このような過渡期が明治後期、1900年頃だったのです」

西洋料理書ブームの陰に「富国強兵」あり!

明治中期、西洋料理を題材にした小説や料理書が出始め、やがて家庭での食事にも西洋化の波が『家庭西洋料理と支那料理』交盛館編 明治39年(味の素文化センター蔵)

料理本の増加に拍車をかけたのが、1899年(明治32年)に高等女学校(現在の中学1年生?高校1年生)が制度的に整備されたこと。中流以上の女子が学ぶ場所が整い、必修科目の1つが「家事」(調理実習も含む)でした。

「女学校で習うのは日常の和食ではなく、会席などのもてなしの食や、和洋折衷、今どきの料理。彼女たちは卒業後、料理書や『主婦之友』などの雑誌を読むようになります。大正期になると、中等教育を受けられる女性たちはさらに増えていきます」

それにしても、当時、女学校の授業に取り入れられ、料理書も多数刊行されていたのが和洋折衷料理や西洋料理。なぜこれほどまでに西洋料理がもてはやされたのか、やはり理由がありました。

「明治維新以降、西洋料理を取り入れることで、日本人も西洋人のように大きくてたくましい体格を目指そうという動きがありました。すなわち、強壮な日本人をつくることによって、富国強兵を目的としたともいえるでしょう」
例えば、1900年頃の料理書にある献立を見てみると、「魚の白身ごはん、ごまみそ汁、ほうれんそうのおひたし、ハッシュドビーフ」と、まさに和洋折衷の世界。しかし、この和洋折衷スタイルは、思い起こしてみれば、まさに今の私たちの食卓そのものではないでしょうか。一汁三菜をベースに、お刺身と一口カツが並んだとしても、何の違和感もありません。そう、今に通じる『定食』と同じと言えます。平安時代末期頃から続いているとされる「飯・汁・おかず・漬物」という和食の基本の中に、洋風や中国風のおかずも組み合わせることで、多様な食事をつくってきたと言えるでしょう。

料理書は、時代と女性を映す鏡

時は進み、1918年(大正7年)、第1次世界大戦終了後から、目立ってきたのがパンに関する料理書。しかし、別にナチュラルな生活を楽しむ…ためではなく、この頃、米の値段が3倍に高騰したためだそうです。

「それまでお菓子などおやつ的な扱いだったパンを”代用食”(ごはんの代用品)として考えたのです。代用食のために『馬鈴著調理法』という本や『三品十銭今日のお料理』といった、経済性を重視した料理書が数多く出版されました」

また、この頃から不景気で使用人を抱えることが難しくなり、中流以上の家庭でも自分で料理を作る機会が増加。昭和初期には、女学校で習ったことが都心では日常化していくようになったこともあり、いかにやりくりしていくかが主婦の腕の見せどころに。近代料理書の歩みを眺めていると、時代背景や女性たちの生き方まで見えてくるようです。

さて、最後に江原先生の「100年後まで残したい料理本」をお聞きすると5冊の名前が挙がってきました。日本人が出合った最初の西洋料理本『西洋料理通』、和食についての体系的な大著『日本料理法大全』、大衆に広く受け入れられた料理小説『食道楽』、日本の伝統的な和食の形に西洋料理を当てはめようと試みた『家庭和洋保健食料三食献立及料理法』、細かく計量したレシピが今に通じる『基本と応用割烹教科書』です。

「現代の日本の食文化の礎を築いた近代の頃は、時代に大きく影響を与えた料理書がたくさん生まれました。挙げた5冊の中には専門家の間で名著とされている本もあり、そうではない方には難しいと感じるかもしれません。しかし、日本の食文化に何らかの影響を与えた本は、これからもぜひ読み継がれていってほしいものですね」

江原先生の「100年後まで残したい料理本」

西洋料理通 上・下・後篇
仮名垣魯文・編 1872年(明治5年)
『西洋料理指南』に続いて出された翻訳西洋料理書。当時西洋料理書の出版が続くのは、身体を強壮にするために動物性食品を多く取り、富国強兵に繋がると考えたため※『近代料理書集成』(クレス出版)に収録あり

日本料理法大全
石井治兵衛・著 1898年(明治31年)
当時、西洋に目が向けられていた時代に、後世に残すためにも日本料理の沿革や婚礼料理など、和食について体系的に書かれた事典的な本。1,500ページ以上もある大著

食道楽 春・夏・秋・冬
村井弦斎・著 1903~04年(明治36~37年)
1903年に連載された新聞小説。最後の4巻は10万部も売れた当時のベストセラー。小説だが、食材の扱い方など食に関する知識も得られ、人気が高かった※岩波文庫にて刊行あり

家庭和洋保健食料 三食献立及料理法
秋穂益実・著 1915年(大正4年)
私立東京割烹女学校を設立した秋穂益実が出版した料理書。カレーやフライなど西洋料理が紹介され、ご飯を中心にした献立に取り入れようと工夫しているのが特徴※『近代料理書集成』(クレス出版)に収録あり

基本と応用 割烹教科書
寺島以登代・著 1925年(大正14年)
高等女学校用の調理実習の教科書。料理は科学と認識され始めた頃で、分量が細かく書かれるなど、計量や時間を重んじているのが、現在のレシピに通じている※『近代料理書集成』(クレス出版)に収録あり

ー日本の食文化が成長した頃の出来事ー

【1900年以前の明治時代】
西洋の翻訳料理本が流行していた頃
初の西洋料理翻訳本は、居留地に住んでいる外国人家庭の使用人が使っていたレシピものなど2種類の西洋料理書。西洋に目が向き、和食に関する料理本は一時期途絶える

ー明治(1968-1912年)ー

明治4年、牛鍋が大流行
本は、仮名垣魯文『安愚楽鍋』。当時(明治4)、東京で大流行していた牛鍋屋に出入りする客の浮世談義を滑稽に描いた作品で、「牛鍋食わねば開化進まぬ奴」との記述も

1872年(明治5年)
学制の領布/『西洋料理通』刊行

明治7年、あんぱん誕生
西洋のパンは堅く乾き、日本人は馴染めなかった。そこで、木村屋初代が酒饅頭を改良し、しっとりとしたあんパンを開発した

1885年(明治18年)
日本初の本格的女性誌『女性雑誌』創刊

1890年(明治23年)
牛のと畜数が10万頭を超える/鶏肉、魚類、甲殻類、卵の冷凍が試みられる

1894年(明治27年)
日清戦争勃発。その影響により中華料理に関する料理本も下火に。

1897年(明治30年)
日清戦争の影響で缶詰の普及が加速。大和煮、蒲焼き、しぐれ煮など日本人好みの味が登場

1899年(明治32年)
高等女学校(現在の中学1年?高校2年にあたる中等教育機関)令公布

明治34年、オムライス誕生
とんかつ、エビフライなど、数々の“洋食”を考案した「煉瓦亭」の賄食だった。忙しい合間に食べられるよう、ごはんとおかずを1皿で完結させた

【1901年-1910年】
料理書の刊行点数が急増した頃
近代化の波と共に、家族の形態が変化し家庭料理本が求められるように。また、高等女学校に通う女子が増えたこともあり、西洋料理を中心に急激に刊行数が伸びる

1903年(明治36年)
村井弦斎著・グルメ小説『食道楽』がベストセラーに/雑誌『家庭之友』(『婦人之友』前身)創刊

1906年(明治39年)
村井の小説人気から雑誌『月刊食道楽』創刊。執筆者には他にも、当時有名な料理人や文化人が多かった

【1911年-1920年】
全国で高等女学校の調理実習室が整備された頃
高等女学校に通うのは、使用人がいる中流以上の女子で料理本の読者でもある。新しい料理に触れる調理実習の教科書やノートは、卒業後も彼女たちの誇りであり宝物だった

ー大正(1912-1926年)ー
1912年(大正元年)
カレーライスが庶民の食べ物として定着/全国49都市で都市ガスが普及

1913年(大正2年)
雑誌『料理の友』創刊。家庭料理のレシピを中心に掲載し、中流階級の主婦を対象とした

1914年(大正3年)
第一次世界大戦勃発

1917年(大正6年)
雑誌『主婦之友』創刊

1918年(大正7年)
米屋による買い占めが行われ、各地で米騒動が起きる

1920年(大正9年)
栄養研究所設置/中華料理ブーム到来

大正10年、カツ丼誕生
カツ丼も、さらにカレー南蛮も同じ店「三朝庵」が発祥。洋食ブームの波に押された蕎麦屋による、起死回生メニューである

【1921年-1930年】
代用食など経済的な料理が生まれた頃
米を初めとして物価が高騰。パンを主食として捉えたり、じゃがいもを使い回したりするなどご飯の代用食をテーマにしたレシピ本や、食費を安価に抑える料理本が増える

1923年(大正12年)
関東大震災発生。日本橋の魚河岸が焼失。新たに築地に開設される

ー昭和(1926年-)ー
1926年(昭和元年)
ラジオにて料理番組開始。浦上商店(現・ハウス食品)が「ホームカレー」を発売

1927年(昭和2年)
日中戦争で人口が激減し、生産力が低下する/中村屋インドカリー発売

1928年(昭和3年)
国産イーストによるパンの製造が始まる

1929年(昭和4年)
世界恐慌/東芝が家庭用冷蔵庫第1号を開発/野菜・果実・牛肉の冷凍食品が発売

1930年(昭和5年)
昭和恐慌/翌年には満州事変が起こり、時代は第二次世界大戦、太平洋戦争へと突入していく

昭和5年 お子様ランチ
前年、世界大恐慌に直面。せめて子どもたちには明るい気持ちになってほしいと、ワクワク感重視で作り上げた。日本橋三越にて

Text 浅井直子
※こちらの記事は2014年9月20日発行『メトロミニッツ』No.143に掲載された情報です。

更新: 2017年4月26日

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