|東京エリートレストラン|
世界に自慢したいフランス料理のシェフ[5]
作家・宇田川悟先生にお聞きした
『東京のフランス料理 群雄割拠の時代』

History of French cuisine in Tokyo

[1960年代つづき~現代]
作家・宇田川悟先生にお聞きした
『東京のフランス料理 群雄割拠の時代』

70年代~80年代以降、フランスでは料理が多様化、東京ではフランス料理店が激増。登場人物も増え、少々ややこしくなりますが、作家の宇田川悟先生に話をお聞きしながら、これらの時代を追いかけます。

|60年代後半は、日仏ともに次の時代の幕開け前夜|

1964年、東京の一大事業だったオリンピックが終わり、街が再び平静を取り戻した頃、その事件は起こりました。現場は銀座の数寄屋橋交差点にあるソニービル地1階、「マキシム・ド・パリ」のオープンです。「マキシム」はパリでも3本の指に入るほどの一流レストラン。アールヌーヴォーの内装や調度品、客席の大きな鏡、ロートレックの絵など、パリの本店と同じ設えであることにこだわり、キッチン、サービススタッフはもちろん楽団員までも日本へ招き入れました。シェフは当初、2人体制。パリの本店でソーシエとして働いていた経験を持つ浅野和夫と、フランスで二ツ星レストランを営むピエール・トロワグロ(68年に三ツ星獲得)を召喚。東京のレストラン界は、初めて「本場」の洗礼を受けたのです。

一方その頃、フランスでは「ヌーベル・キュイジーヌ」の夜明けにさしかかっていました。ヌーベル・キュイジーヌを直訳すれば「新しい料理」。その始まりは一般的に70年代前半とされていますが、作家の宇田川悟先生にお聞きすれば、その萌芽は1968年にすでにあった、とのこと。1968年と言えば、アメリカではヒッピーが台頭し、日本でも学生運動が盛んだった頃です。「フランスでも、権力への不満に対する反体制運動がありました。1968年、パリで起きた5月革命です。それは政治や経済に留まらず、男女間のモラルから食生活まで、フランス社会のすべてを変えるほどのインパクトがありました。では変化の傾向は何かと言えば、一言で言うと"モダン化"。フランス人にとって最も重要な食に、モダン化の波が押し寄せるのも自然な流れだったのです」それまでレストランで提供されるフランス料理と言えば、"オート・キュイジーヌ"が主流。宮廷料理をルーツに持つ、伝統的で格式の高い料理です。それに対して、ソースも盛り付けも"レジェ(軽く)"を心がけた新しい料理が「ヌーベル・キュイジーヌ」でした。

ヌーベル・キュイジーヌの旗手とみなされているポール・ボキューズを筆頭に、トロワグロ兄弟(銀座のマキシム・ド・パリの初代シェフ・ピエールは弟)、アラン・シャペルなど当時若手だったシェフたちがレジェな料理を作り上げ、一大潮流に。その影には、フランス二大ガイドブックの対立軸も潜んでいました。「この若手シェフたちを理論で支えたのが、料理ジャーナリスト、ゴーとミヨ。この2人が手がけるガイドブック『ゴー・ミヨ』は、『ミシュランガイド』と並ぶほど影響力がある。伝統を重んじるミシュランに対して、ゴー・ミヨは革新。新しいものを目指す者同士がタッグを組んだこともブームになった要因です」

そう話す、宇田川先生は70年代後半からパリに移り住み、ヌーベル・キュイジーヌの波が押し寄せる様を見てきたのです。「フランス革命だって、10年ほどかかっているわけですよ。ヌーベル・キュイジーヌも同じこと。一夜にして変化が訪れたのではなく、70年代はオート対ヌーベルがせめぎ合っていましたね。形勢逆転が決定的になったのは、80年代になってから。同時にそれは、オート・キュイジーヌの象徴であるホテルのレストランに対して、ヌーベル・キュイジーヌを提供する街場のレストランの勝利を意味します」伝統的なエスコフィエの料理を受け継いでいこうという機運も廃れていないものの、ヌーベル・キュイジーヌはこうして、市民権を得ていきました。

|東京のフランス料理は、80年代に栄華を極めた|

60?70年代と言えば、日本は高度経済成長を経て、生活が安定し始めた頃。昔に比べて、海外へ渡ることも現実的になりました。特に70年代、日本のシェフたちもヌーベル・キュイジーヌが始まったばかりのフランスへの出国ラッシュ。「クイーン・アリス」の石鍋裕さん、"ソースの名人"と名高い「シェ・イノ」の井上旭さん、「キハチ」の熊谷喜八さんなど、今では重鎮のあのシェフたちがこぞって渡仏しました。「今のようにインターネットもない時代。フランスの情報なんてないに等しい。当時、日本人でフランスの星付きレストランでスマートに食事ができた人なんて、辻静雄さんくらいでしょうね。だからこそ、辻さんの著作はシェフにとってもバイブルで、彼がいなかったら日本のフランス料理はもっと遅れていた可能性があります。そんな手探り状態で渡仏し、石鍋さんなんて、向こうに行って初めてフォン・ド・ボーを見たと言っていましたから。日本の厨房で作っていたのは、洋食の延長であるデミグラスやアメリケーヌソースだったのです。だから、この時期に渡仏したシェフたちは奇しくもヌーベル・キュイジーヌの過渡期に意図せず踏み込んだ形になりましたが、渦中にいる時はそういう時代の変化には気が付かないものです」現地の名店で学び、意気揚々と日本に戻ってきたフランス帰国組。しかし、材料もお客の味覚も異なる日本の地で、本場の味を貫き通すことは並大抵のことではなかった、と宇田川先生は続けます。

「石鍋さんが76年に帰国したけれど長い間なかなか難しく、83年頃に女性誌に掲載されたことでようやく認知されたようです。『オテル・ドゥ・ミクニ』の三國清三さんも82年に帰国して、85年に開業。でも、当時は自分の料理のことを"キュイジーヌ・ジャポニゼ"と言っていました。フランス料理をどう日本化するか、あの時代のシェフはみんな苦悩や葛藤を抱えていましたね」しかし、80年代はバブル絶頂期。東京にはこの時期から海外旅行を経験した食べ手が増え、フランスで食べたあの料理を日本でも食べようという人たちが増えてきます。また、雑誌でフランス料理のシェフたちがスターのように取り上げられるようになり、街中では本国フランスのスタイルを丸ごと持ち込んだカフェがブームに。人気レストランには女性やカップルが押し寄せ、クリスマスには予約が取れなくなるレストランも続出。フランス料理人気は急激に高まります。

|冬の時代を経て、これから東京のフランス料理は成熟期に|

しかし91年、再び転機が訪れます。バブル経済の崩壊です。
「"高い、重い、堅苦し"というマイナスイメージ三拍子のレッテルを貼られたフランス料理は、"安い、旨い、雰囲気が良い、おしゃれ、カジュアル、ヘルシー"というプラス六拍子のイタリアンに人気をあっと言う間に奪われました。さらに、エスニック料理のブームも相まって、フランス料理はバブル崩壊以降、"失われた10年"という冬の時代を迎えます」その間もフランス修業に行くシェフや、新店をオープンするシェフ、フランスの星付きシェフの名を冠した鳴り物入りのレストランオープンもなかったわけではありませんが、90年代に増えすぎた街場のレストランは淘汰されるタームへ突入。また、より身近にフランス料理が食べられる「ビストロ」が増加します。「"ガストロノミー"にかけて、美食を提供するビストロを"ビストロノミー"と呼ぶ人もいまが、それだけ才能あふれる料理人が街場に入って、ビストロのクオリティを上げているということ」と、宇田川先生。そして、いよいよ2007年、『ミシュランガイド東京』が上陸。閉塞感のあった東京のフランス料理界に風穴を開けるのではとの期待が高まり、新たな時代の幕開けを予感させました。「本家フランスでも、ヌーベル・キュイジーヌ以降どこに舵を切ったらいいか、実は常に迷いがある。ヌーベル・キュイジーヌが誕生して数十年、金属疲労を起こしているんです。でも、苦しくなると外に目を向けるのがフランス人。彼らはよく、頑固と言われますが、そんなことはありません。かなりオープンマインドですよ。だから、ヌーベル・キュイジーヌが行き詰まると地方料理、家庭料理、地中海と気候がよく似たカリフォルニア料理などを取り入れながら軌道修正してきましたし、少し前にはスペインの「エル・ブジ」、さらに最近では、来年日本に上陸する「ノーマ」など北欧のテイストにも目を向けています。日本の食材が注目されているのも、デコレーションとして日本のテイストが必要とされているからこそ。でも、彼らは恵まれています。困ったらエスコフィエに戻ればいいんですから」フランス人のように金科玉条を持たない日本のシェフは拠り所がなく、常に迷いを抱えることになる、と宇田川先生は続けつつも、東京のフランス料理の行く末を決して悲観しているわけではないようです。「明治以降150年の日本におけるフランス料理の歴史は、今まさに1つの時代が終わり、成熟期に移行しているのだと思います。“失われた10年“を通り越して、高級レストランからビストロ、ワインバーまで裾野が広がった東京のフランス料理界は世界的にも技術が高く、全体的に層が厚い。これからはフランス料理の技法をベースにしながらも、日本独自の自立したフランス料理を作るシェフに注目が集まるのではないでしょうか」

|「マキシム・ド・パリ」は、黒船さながらの事件だった。|

写真提供:Lisa-Lisa / Shutterstock.com

1966年、贅沢な料理から豪華絢爛な内装まで丸ごと摸し、名門中の名門・パリの「マキシム」が銀座へ。「大人の社交場を作りたい」という、ソニー副社長(当時)の盛田昭夫氏の熱意からすべての事が動いた。大卒初任給の平均が約2.5万円だった時代に総工費はなんと2.4億円! マリア・カラスも祝辞を寄せたという「マキシム・ド・パリ」の誕生は、「東京のフランス料理店」の新たな歴史の始まりでもあった。

|権威ある2冊のガイドブックが「フランス料理」を近代化させた立役者|

それ以前のレストラン料理の主流は、宮廷料理がルーツで格式の高い「オート・キュイジーヌ」。そのスタイルは、カレームが黄金期を築き、エスコフィエが大成させたものだった(P26)。しかし60年代後半~70年代初頭、「ヌーベル・キュイジーヌ」が始まる。例えば生クリームやバターは控え、健康的に。調理方法はより簡素に。食材の鮮度も追求し、さらには輸送技術の発達で遠方の食材も入手しやすくなったこともあり、新しい技術を取り入れて、シェフ独自の創作力も加える、というような料理。生みの親は、料理ジャーナリストのアンリ・ゴーとクリスティアン・ミヨ。2人は1972年、伝統的な『ミシュランガイド』とは異なる、ヌーベル・キュイジーヌの角度から店を評価した『ゴー・ミヨ』を創刊した。この異なる価値観の2冊が競合したおかげで、20世紀、レストラン業界の活性化に一役買った。

【ミシュランガイド】

写真提供:PPS通信社 |1900年の創刊号は自動車 台数約2千9百台の時代な がら、発行部数3万5千部

創刊は1900年。もともとはタイヤメーカー・ミシュランが来たる自動車社会に先駆け、ドライバーのために作られた無料配布のガイドブック。車の部品や修理について、宿泊、郵便の紹介まで、車の旅で知っておきたい情報を載せていた。やがて、料理の評価が高いホテルに対して星を付けるようになったのは1926年。レストランのガイドブックへ転向したのは戦後の話。以来、その公正で信頼性の高い審査から影響力が増大し、しだいにレストランガイドの世界的権威となる。

cMICHELIN 2007年創刊の東京版。『ミ シュランガイド東京2015』 は2014年12月5日発売

【ゴー・ミヨ】

1972年、創刊号にはミシュランへの挑戦文のような前書きがあった。「先行する名高い野的なガイドブックと違い、主要レストランをもれなく評価するようなことはせず、好みに合う店だけを選んで主観的に評価する」と。そして、新進シェフの発掘力で世間を驚かせ、一世を風靡した。やがて「ヌーベル・キュイジーヌ」の目新しさは急激に失速し、ゴーも脱退。本のスタイルは混迷するようになるが、今もフランスを代表する一流レストランガイドであることには変わらない。

2015年版はこの10月に刊行され、上の写真は今年の受賞シェフ(授賞式にて撮影したも の)。レストランガイドとしての創刊は1972年だが、1969年に出された月刊のグルメ雑誌 『ゴー・ミヨ』が前身にある。 gaultmillau.fr

|辻静雄さんがいらしたおかげで日本は世界に遅れることなく本場のフランス料理が広まった。|

70年代に、フランスでミシュランの星付きレストランに出入りするような日本人は限られた人しかいなかった。その1人が、生涯を「外国人としてのフランス料理研究」に捧げた辻静雄さんだ。辻さんは1960年に辻調理師学校を開校させるが、実はもと新聞記者。自分の舌と足を駆使し(ちなみに、勉強を兼ねて食べ歩いた旅行費用は約600万円!)、膨大な文献にあたり、当時、フランスからの情報を手に入れにくかった日本で料理の本質を的確に伝えた功労者である。優れた著書を数々残し、一般の人たちにはフランス料理の魅力を広め、プロたちには単に美味しい料理を作るだけではなく、料理人にとって料理に向き合う哲学の重要性を説いたりもした。フランスでは迷ったらエスコフィエに戻れ、というが、日本では迷ったら辻静雄に戻れ、なのかもしれない。

本特集をさらに深堀したい方へおすすめの辻静雄さんの著作

■フランス料理の学び方特質と歴史
中公文庫781円

「フランス料理とはどんなもの?」から料理史まで、フランス料理を勉強する学生向けの講義を収録した本。なんと天皇の料理番・秋山徳蔵氏との対談も収録されている

■辻静雄ライブラリー3巻
エスコフィエ-偉大なる料理人の生涯
復刊ドットコム刊1,836円

エスコフィエの生涯や人物像を、盟友であったホテル王リッツとのエピソードなどを交え描く。元新聞記者・辻さんの本領が発揮された、さすがの1冊

辻静雄さんのことを知りたい方へ
■美味礼讃
海老沢泰久・著
文春文庫767円

直木賞作家・海老沢泰久さんが辻静雄さんが主人公の小説。読み応え満点

?

地方にも名店が点在している、フランス料理の懐の深さ

フランスで”食の都”と言えば、昔からリヨンのこと。ミシュランの星付きレストランも三分の一がパリに、三分の一が地方にある。フランスでは美食が首都・パリに集中しているわけでもないのだ。その状況を支える背景にはミシュランガイドの功績もある。例えば、高級店に限らず日常的なお店も紹介し、地方のシェフたちのモチベーションを高めた。また、市民たちも「美味しいものがある場所まで足を延ばすのは当たり前」の意識が備わり、各地に美食巡礼地を生み出した。地方の食文化へ人々の目を向けさせ、郷土料理の価値も守られることにつながっている。

今や、日本人シェフがフランスで活躍する時代
2014年のミシュランガイドフランス版で、星を獲得した日本人シェフのレストランは合計20軒にも及んだ(日本料理店も含む。パリ以外の街で営む店は17軒)。ひと昔前までは、フランスで修業をし、後は日本で独立するのが普通だったが、最近、現地で店を開くシェフが増えているのも見逃せない潮流の1つ




トロワグロ
??ソーヌ・エ・ロワール県シャロン・シェル・ソーヌ
兄弟シェフが人気を博した三ツ星店。弟・ピエールの息子ミシェルが後を継いだ

ポール・ボキューズ
??ローヌ県コロンジェ・オ・モン・ドール
40年間以上、三ツ星を獲得し続けている「ポール・ボキューズ」はリヨン郊外に

ミシェル・ブラス
??アヴェロン県ラギオール
唯一の支店が「ザ・ウィンザーホテル洞爺」にある。99年、三ツ星獲得

|Interview| 宇田川悟先生

作家。1960年代からフランスに通い、1970年代から20年間パリで暮らした。そしてシャンパーニュと赤ワインの洗礼を受け、自然とフランス食文化研究の第一人者となる。一方、フランス社会、文化にも造詣が深い。フランス政府農事功労章シュヴァリエの他、ワイン、シャンパーニュ、フランスチーズなどの様々な受章歴あり。著作も多数あり、本特集に絡めて言えば『フランス料理二大巨匠物語-小野正吉と村上信夫』(河出書房新社)もおすすめだが、今年、22年前に翻訳・刊行した児童書『カトリーヌとパパ』(パトリック・モディアノ作、ジャン・ジャック・サンペ絵、講談社刊)の作者がノーベル文学賞を受賞するというビッグニュースがある。




「東京のフランス料理」史がもっと学べる1冊
東京フレンチ興亡史―日本の西洋料理を支えた料理人たち
宇田川悟・著761円
角川one テーマ21新書

〝西洋料理?が始まった幕末から『ミシュランガイド』が上陸した現代まで、東京におけるフランス料理の変遷をひもといた1冊。物語性豊かに話が進むので読みやすく、かつ知識量がものすごい

取材・文:浅井直子

※こちらの記事は2014年11月20日発行『メトロミニッツ』No.145掲載された情報です。

更新: 2017年9月5日

この記事が気に入ったら
「シェア」しよう

最後までお読みいただき、ありがとうございます

pagetop