|東京エリートレストラン|
世界に自慢したいフランス料理のシェフ[4]時代を大きく動かした、ホテルの二大巨匠シェフが残したもの

IMPERIAL HOTEL [NOBUO MURAKAMI] × HOTEL OKURA TOKYO[MASAKICHI ONO]

50年代半ば~70 年代初頭は、高度経済成長期。1964年のオリンピック開催も決まり、東京ではホテルの建設ラッシュが始まった。そんな60年代、東京のフランス料理の時代を塗り替えた2人のシェフがいた。帝国ホテルの村上信夫、ホテルオークラの小野正吉。今まで“イギリス風だけどフランス料理”のように曖昧な「西洋料理」が多かった東京で、きっちりと「フランス料理」を切り分け、独立するのを支えた貢献者でもあった。

(左)村上信夫氏(右)小野正吉氏

[Chapter4] “バイキング”の生みの親。フランス料理の裾野を広げた帝国ホテル・村上信夫

村上信夫が18歳で入社した1940(昭和15)年には、すでに皇族も国賓も接待の場所は帝国ホテルと決まっていた。この日本一の調理場での村上の人生は、鍋磨きの日々から始まった。戦争、「ホテル・リッツ」などへの留学を経て、1958年、大抜擢で新館の料理長となる。村上が残した大きな業績の1つが、好きなものを好きなだけ食べるスタイルの「バイキング」。それは大成功を収め、連日長蛇の列ができるほど人気を博し、ホテルの名物となる。また、NHK『きょうの料理』にも出演を始め、さらには婦人雑誌に原稿を書き、料理学校の講師も務めた。お茶の間にも愛された帝国ホテル第11代料理長・村上信夫は、正しい「フランス料理」をわかりやすく世に広めたのだった。

写真は、東京オリンピックの選手村にて。村上信夫(写真中央)は、選手村の富士食堂(男子食堂)の料理長を任された。世界90カ国以上の国々から集まる選手たちは、実に7000人。村上らは、アジア、アフリカ、中南米などの未知の料理も含め、世界各国の料理メニューを作るべく奮闘した




[帝国ホテル東京]
東京都千代田区内幸町1・1・1
03・3504・1111
http://www.imperialhotel.co.jp




 

[Chapter5] “本物の料理”を追求しフランス料理を広めたホテルオークラ・小野正吉

ホテルの建設ラッシュの中、1962(昭和37)年に誕生したホテルオークラ。ここでホテルのシェフになるのが念願だった小野正吉は、日々勤しみ、71年、総料理長にまで上り詰める。小野は、日本で展開しているフランス料理がどれほど本場のフランス料理に近いのかと疑問を抱いていた。そして、フランスから本場のシェフを招き、フェアを開いて、日本の料理人たちとともに技術向上に努めた。招かれたシェフには、レイモン・オリビエ、ジョエル・ロブション、アラン・デュカスなど、現代のグランシェフも少なくなかった。小野は「西洋料理」ではない、本当の「フランス料理」を日本に運んできたのだ。

「帝国ホテルを超える」という思いが強かったホテルオークラは、開業時から頂点を目指していた。世界中のVIPをもてなすために、開業前からパリなどに料理派遣し、開業1年目にはフランス人シェフを招いた。写真は開業すぐの頃、調理技術向上のためにフランスより招聘した3人のシェフと小野正吉(左から2人目)




[ホテルオークラ東京]
東京都港区虎ノ門2・10・4
TEL 03・3582・0111
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo

テキスト:野中ゆみ(メトロミニッツ編集部)

※こちらの記事は2014年11月20日発行『メトロミニッツ』No.145掲載された情報です

更新: 2017年9月4日

この記事が気に入ったら
「シェア」しよう

最後までお読みいただき、ありがとうございます

pagetop