|東京エリートレストラン|
世界に自慢したいフランス料理のシェフ[2]「フランス料理」駆け足クロニクル?近代編

近世から続き、近代になってからフランス料理は発展し、現代のスタイルの基礎をつくる。

|多彩な偉人たちが活躍し近代フランス料理が生まれた頃|

先の時代(近世)はフランス革命の終息とともに幕を閉じます。フランス革命が起こったのは1787年、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの時代。王権に対する貴族の反抗に始まり、1789年から市民まで巻き込む本格的な革命に発展。王も王妃も首をはねられ、絶対王政が終わりを迎えます。

マリー・アントワネット
(1638?1715年)宮廷での舞踏会や週2~3回ペースのお芝居、ビリヤードやカード遊び、ドレス、宝石など、豪華な娯楽や美食に囲まれて暮らしていた、フランス最後の王女。フランス革命により運命を変えられてしまう。

この革命の後で、フランス料理も段々と近代化の道をたどり始めます。まず、街には「レストラン」ができるようになりました。それまで貴族に仕えていた腕利きの料理人たちは、主君とともに他国へ亡命するか、フランスに留まるか、選択を迫られます。国内に留まった者は、ブルジョワジ(裕福な市民階級)に仕える、もしくは街中にレストランを作るようになったのです。革命前まで50軒以下であったパリのレストランは、1827年には約3,000軒に達したと言います。

一方、革命により、街には新興ブルジョワジが発生しましたが、彼らは力やお金を得たとはいえ、急に上層階級になった人たち。かつての王侯貴族たちによって溜め込まれていたガストロノミーのノウハウ、すなわち料理やぶどう酒についての作法を知りません。そこで、まず登場するのがグリモ・ドゥ・ラ・レニエール。『美食年鑑』というレストランガイドの祖先のような本や『招待者のマニュアル』というもてなす側の心得ガイドを出版し、食の教養を伝えました。

近代のパリと言えば、印象派。下の絵の舞台はセーヌ川のほとり、シャトゥにあるレストラン「メゾンフルネーズ」で、ここには多くの画家たちが訪れていたという/ピエール=オーギュスト・ルノワール《舟遊びの昼食》1880-81年

また、レニエールに少し遅れ、ブリア=サヴァランも『味覚の生理学』を上梓します。料理やレストランについて具体的に紹介したレニエールとは違い、サヴァランは美食についての知識や経験上の考察を体系的に説きました。これは「ガストロノミー」を語る上で欠かせない1冊で、今でも美食の聖書と呼ばれています。

同じ頃、アントナン・カレームという天才料理人も活躍します。カレームは、貴族やブルジョワジの下で料理人として活躍。そして、かつての王侯貴族が食べていた料理をベースにしながら、ブルジョワジの邸宅や大レストランで「グランド・キュイジーヌ」を体現します。

さらに、時代がもう少し進むと交通が発達し、旅行に出る貴族たちが増え、今度は街にホテルが建ち始めます。しかし貴族たちの滞在には、彼らの住居並みに豪華な宿泊施設が求められ、それに見合ったレストランも完備していなくてはなりません。そこに登場するのが、豪華なホテルを数々手がけた〝ホテル王″セザール・リッツ。そして、そのリッツとコンビを組んで料理を担当した人物がオーギュスト・エスコフィエでした。エスコフィエは19世紀前半~20世紀前半にかけて、数々の豪華ホテルを舞台に活躍をした人。そして、史上最も多くの料理を創作した人とも言われています。また、それまでのフランス料理を集大成した偉大なる功績も。料理の神様と言われています。

近世の間に花開いた「フランス料理」とは

?ブイヨン(肉や野菜の煮汁)をソースのストック(ダシ)と考えるようになった。またコンソメを澄ませる卵白、ソースにトロみを付ける脂や小麦粉のルーなどを使い始めた。
?肉はジビエ(野生の鳥獣)が主だったが、 家畜・家禽の肉へ移行した。
?かつて、ビネガーやブドウジュースをベースに 作られていたソースがバターベースとなる。

「フランス料理」の時代を築いた3巨星

偉大なるガストロノミーの祖
ブリア=サヴァラン
1755~1826年


法律家でありながら、ガストロノーム(美食家)。1825年、死の2カ月前に『味覚の生理学』(美味礼讃)を著し、「ガストロノミー」の何たるかを説いた。サヴァランの定義によれば、ガストロノミーとは「人が食べることに関わる体系的知識の総体であり、その目的はよりよく食べることによって人を健やかに保つことにある」。簡単な言葉で言えば「美味しく食べることを学ぶ」学問で、人が食べるという行為を科学、医学、物理学、芸術などの知識も生かして、体系的に、分析的に捉えようとしたもの。極端にハイエンドな食が発達したフランスでは単に食べるのではなく、より美味しく食べることを追求してきた伝統があって、ガストロノミーが発達した。サヴァランはその第一人者。

ガストロノームとは、料理を作る技術的なことではなく、料理人とは異なる立場から食べ物にアプローチし、考察、分析、それを書き残した人のこと

写真提供:Bridgeman/PPS通信社

美食文化の黄金期の天才料理人
アントナン・カレーム
1784~1833年


フランス革命後、外交官のタレーランのお抱えシェフとなったカレームは、1814年、ウィーン会議で作ったディナーが評価され「シェフの帝王」と称された。その後、ロシア皇帝アレクサンドル1世、イギリス王国ジョージ4世などに仕え、晩年は国際的資本家ロスチャイルド家の料理長となる。カレームが取り組んだことは、料理の見た目の美しさを重視したこと(建築学を独学でマスターしたこともあってなのか、左の絵のようなデザイン性)。また、エスパニョル、ヴルーテ、ペシャメルといった基本のソースを、作り方を組み立て直すなどして、4つの系統に分類した。そして、料理、お菓子に関する著作を多数残している。ちなみに、エクレア、ミルフィールを考案したのもカレームだとされる。コック帽も考案。

天才料理人カレームを輩出し、「美食文化の黄金期」と呼ばれた19世紀は、料理の様式や技術も多様化、体系化が進んだ

写真提供:Bridgeman / PPS通信社

「フランス料理」の大成者
オーギュスト・エスコフィエ
1846~1935年


フランス料理の“神”として歴史に名を刻むシェフ。上のカレームは食材を豊富に用い、複雑な調理法で、豪華な見た目にこだわった料理を提案したが、エスコフィエは逆に簡素化した。そのことで調理時間が短縮され、味や鮮度にもっと時間をかけてこだわれるようになった。また、これまでに構築してきた料理の技術的な規範をまとめあげ、いわば方程式化。例えば「この料理に合う付け合せは?」を考える時もエスコフィエの方程式にのせれば、答えが出てくるような。先人たちの「フランス料理」を集大成させた巨匠。その金字塔的な著作『料理の手引き』は、長いことフランス料理のバイブルとして絶対的な存在で、5,000以上のレシピ、280種以上のソースが分類されて網羅されている。

写真は1898年創業の「ホテル・リッツ」。高級ホテルという国際舞台で料理を振る舞い、世界的VIPたちの心をつかみ、エスコフィエの名声は頂点を極めた。

写真提供:PPS通信社

【近代】
フランス革命後(18世紀後半)?第二次世界大戦(1939年)

ーまとめー
??「レストラン」というものが街に生まれるようになる。
??今につながる「フランス料理」の礎を築いた人々が活躍し、料理が近代化する。

テキスト:野中ゆみ(メトロミニッツ編集部)

※こちらの記事は2014年11月20日発行『メトロミニッツ』No.145掲載された情報です

更新: 2017年9月2日

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