ドキュメンタリーの名画を観る

|“食べる”を見つめる映画[8]|
『天のしずく』が教えてくれること

映画『天のしずく』は、長くNHKでドキュメンタリー番組を制作してきた河邑厚徳監督が、料理家の辰巳芳子さんを1年半にわたって取材しまとめた「いのちのスープ」の映画です。今回の特集「"食べる”を見つめる映画」の本質を問うこの作品について、河邑監督にお話を伺いました。

ドキュメンタリーの名画『天のしずく』が教えてくれること

?2012 天のしずく制作委員会/天のしずく 辰巳芳子“命のスープ” (2011年/日本)「いのちのスープ」はいかにして生まれ、どのように人の輪を生み出し、社会の抱える問題とどのようにつながっていくのか。料理研究家・辰巳芳子さんと「いのちのスープ」を、約1年半にわたって追ったドキュメンタリー。詳細は公式HPにて http://tennoshizuku.com/

2011年4月、料理家・辰巳芳子さんは、震災後初めてのスープ教室を鎌倉のご自宅で開きました。春のやわらかな雨が降っていました。物語はその教室シーンから始まります。辰巳さんはこの時86歳、40代で父親が病に倒れて入院し嚥下障害になると、料理研究家の草分けだった母・浜子さんと2人でスープを作り、病床に届けます。父親が亡くなると、「季節の変わり目をお椀1つから感じられる」スープを、家族の食卓、終末医療の現場にも届けたいと願うようになります。そこから自宅を開放してのスープ教室が始まり、希望者が全国から集まるようになりました。辰巳さんのスープは次第に、多くの人が希望を託す〝いのちのスープ?と呼ばれるようになりました。
「『食』は生死を分かつということを時々思い出してちょうだい。そして築き上げていくものですよ」。震災後初のスープ教室の日、集まった人々の前に立ち、辰巳さんが語ったのはそんな話でした。そして、さらにこう言います。食材を選び、どう調理するか、どう食べていくのか、何でもない当たり前のことに真心を込めていくのは簡単ではなく、時間もかかります。しかし、毎日の「食」の積み重ねが、私たちの揺るがない幸せにつながっています。平凡の中の非凡、日常生活の愛おしさ、そこに〝築き?があるのです。
「確かに、辰巳さんがおっしゃっていることは以前と同じですが、3.11の大震災以降、多くの人に響くようになったと思います。ごく当たり前の暮らしが、いかに大切でかけがえのないものかを、日本人すべてが改めて実感しました。映画を作る立場でいえば、ドキュメンタリーはこちらが初めに意図していたことがそのまま形になるのが必ずしも良いとは限らなくて、偶然に作品を後押しするような出来事が向こうからやってきて、それを掴めるかどうか。『天のしずく』の制作で言えば、3.11もその1つでした。さらに撮影を始める直前に、辰巳さんの自宅に元ハンセン病患者の方から、辰巳さんのスープを毎日作って親友を看取ったという手紙が届いたんです。そういう、予測できないものがいくつか力になって、この作品が誕生していきました」。
長くドキュメンタリー一筋に歩んできた中で、「食」をテーマにした作品は初の試みだったと言う、河邑厚徳監督。「食というのはすごく小さな窓にすぎない。けれど、その小さな窓から見える世界は、奥深く宇宙にまで広がっている…。辰巳さんはそのようにおっしゃっていましたが、〝食の窓?の向こうを意識的に覗くと、すべての食べ物を育んだ海・川・野山の自然から、気候、家族や人間の生き方、自給率の問題、農薬や放射能のことまで見えてくるのです」。
辰巳さんは物事を根源に遡って考える人です。例えば人はなぜ食べなければならないのか?南北に延びる日本列島の恵みとは?風土とは?…考えるだけではなく実践もされてきました。例えば、「大豆100粒運動」は子どもたちに大豆を育てさせ、様々な経験をする中で、土に触れ植物の命を感じてほしいという活動です。しかし、その先には大豆の自給率の問題も見え、日本食の根幹にあるみそやしょうゆ、納豆などの発酵食品まで思いは至っているのです。
「『天のしずく』の中にある大きなメッセージは、食を通して人間の生き方をもう一度見つめなおすことでしょうか?人は何を食べているのかで決定されています。毎日古い細胞は壊れて新しい細胞で肉体は更新されています。人は、食べ物で作られています。私も撮影した後では、辰巳芳子の料理を口にしました。料理は人の五感がすべて働いて味わうものです。味覚・視覚・嗅覚・聴覚・触覚…そういった自分の感覚がどんどん磨かれ、喜びを感じることを確信していきました。その感覚は、私の日常を豊かにしてくれます。水も空気もふくめて、人間は自然の一部で、自然に生かされている存在なんだという、気づきを得ています。気づきと築き…」(河邑監督)

Text:石村研二

※こちらの記事は2015年10月20日発行『メトロミニッツ』No.156掲載された情報です

河邑厚徳さん

映画監督 河邑厚徳さん

NHKに40年近く在籍し、『シルクロード』『チベット死者の書』『エンデの遺言』などのドキュメンタリー作品で新しい映像世界を開拓。今年3月には映画監督としては2作目となる『大津波3.11 未来への記憶』が公開された。最新は10月放送のETV特集『むのたけじ 100歳の不屈』

更新: 2016年11月13日

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