|地中海料理という、暮らし方。[9]|

どんな国があり、どんな人々が生きたのか。
11世紀〜のヨーロッパの成長期

いつの時代も海上交易が盛んで、人種と文化が交流する場として、様々な栄枯盛衰を見つめてきた地中海。今日の地中海料理に至るまでの背景を探ろうと、周辺の国々の動き、庶民の暮らしなど、時代をさかのぼってみました。とはいえ、背景を探るほどまでには全く至ってはいませんが…。どうぞご参考に。

11世紀〜のヨーロッパの成長期

10世紀末になり、いよいよ地中海では、イスラムに奪われてしまっていた地中海の制海権をキリスト教徒たちが取り返し始めます。ビザンツ帝国がクレタ島、キプロス島、リキアを押さえ、西側ではピサとヴェノヴァがコルシカ島とサルデーニャ島からイスラム教徒を追い払い、10世紀末から11世紀末にかけての100年間で、徐々にイスラムの覇権が弱体化していくことになるのです。

地中海からイスラムの影響力が弱まっていく、11世紀は、あの十字軍も誕生した頃です。それはキリスト教徒による「異教徒討伐の聖戦」で、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還するために派遣された遠征軍でした。1096年から約200年にわたって、エルサレムをめぐる戦いが繰り広げられますが、残酷な争いを重ね、イスラム教徒には聖戦(ジハード)という対抗感情を育み、不幸な結果に終わります。

十字軍がヨーロッパにもたらしたのは杏(あんず)だけ、と言った人もいます。しかし、先進的なイスラムとギリシャの文化をヨーロッパに伝える機縁ともなり、「12世紀ルネサンス」とよばれるヨーロッパの文化的革新につながったこともあったようです。さて、ここまで古代から中世までを少しのぞいてきましたが、ヨーロッパは常に移民たちの存在が歴史を動かし、文化を豊かにしてきたような気がしませんか。

9~10世紀は、西方はゲルマン人、ハンガリー人、スラブ系移民(ポーランド人、クロアチア人など)がローマ教会のヨーロッパに、東方ではロシア人の他、バルカン、ブルガリア、セルビアに定住したスラブ人が東方正教会のヨーロッパに加わります。11世紀には、スカンジナビアのノルマン人の一部が北フランスに定住し、やがて南イタリアにナポリ王国、シチリア王国を建国しました。そこでノルマン人はローマ帝国時代からそこに住んでいた南イタリア人、ギリシャ人、ドイツ人などと混ざり合って暮らしていきます。

そして、1453年には、4世紀から1,000年以上続いてきた人類史上最長とも言われる巨大帝国・ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がいよいよ滅亡します。滅ぼしたのは、オスマン・トルコ。また新たな人種が時代を大きく動かすことになりました。ヨーロッパは世界で最も小さな大陸で、アルプスもピレネー山脈も人の足で越えられない山ではありません。

ライン河もドナウ河も、多くの河が船での移動が可能です。人も物も行き来しやすく、そして文化を育んできました。地中海料理も国境を超え、同じ気候・風土の土地に根差した共通のライフスタイルであるという理由が、何となくわかる気がしませんか?

15~17世紀に訪れる「大航海時代」

グローバル化する地中海

東方貿易の主要商品であった香辛料はイタリア商人に莫大な富をもたらし、君主などの多くの人の関心を惹きつけました。そこで「直接インドに行こう」という機運が高まります。そこで、15世紀末~17世紀に訪れるのが、「大航海時代」です。この新たな東方貿易ルート開拓に真っ先に取り組んだのが、イベリア半島の2つの国、ポルトガルとスペインでした。ポルトガルは小国だけに貿易を重んじ、イスラムに征服されていた頃に得た天文知識や航海技術のより研究をし、探検活動を王室の事業として推進します。一方、ライバルのポルトガルに先を越されたお隣の国スペインは、1492年、コロンブスをインドへ送り出します。コロンブスが、行き着いた先はアメリカ大陸。この発見がその後の歴史を大きく変えたことは言うまでもありませんが、サトウキビ、じゃがいも、とうもろこし、カカオ、トマト、さつまいも、七面鳥、アボカド、インゲンマメ、落花生、バニラ、赤唐辛子、青唐辛子など、様々な食材をアメリカ大陸から伝え、ヨーロッパの食事情も大きく変えました。

cGranger/cPPS通信社

Text:メトロミニッツ編集部
MAP:グルーヴィジョンズ


※こちらの記事は2015年5月20日発行『メトロミニッツ』No.151に掲載された情報です。

更新: 2016年12月7日

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