|地中海料理という、暮らし方。[7]|

どんな国があり、どんな人々が生きたのか。
7〜8世紀 三大文化圏

いつの時代も海上交易が盛んで、人種と文化が交流する場として、様々な栄枯盛衰を見つめてきた地中海。今日の地中海料理に至るまでの背景を探ろうと、周辺の国々の動き、庶民の暮らしなど、時代をさかのぼってみました。とはいえ、背景を探るほどまでには全く至ってはいませんが…。どうぞご参考に。

7〜8世紀 三大文化圏

先の時代に増えてしまったゲルマン諸国は、お互いに争いを繰り返し、5世紀末には東ゴート王国、西ゴート王国、フランク王国の3勢力が優勢となります。しかし、東ゴートは国内の乱れから553年に滅亡し、西ゴートとの戦いで領土を得たフランク王国が優勢に。

フランク王国が、現在で言うところのフランス、ドイツ、北イタリアにまたがるところに帝国を築いていくことになります。一方、7世紀初頭の地中海の南岸・アラビア半島で、預言者ムハンマドが1つの国を興します。

それはイスラム教徒たちの国で、すさまじい力強さで、かつ驚異的なスピードで、東は中国に接する地域から西は大西洋までの広大な地域を制するに至ります。

その大西洋というのは、イベリア半島の西ゴート王国(現スペイン)。イベリア半島は8世紀前半(711年)、ウマイヤ朝のイスラム勢力に侵されてしまうのです。ここで地図のように、イベリア半島がイスラムに染まったことで、地中海を真ん中に挟み、西ヨーロッパ地域の「ラテン・カトリック教文化圏」、ビザンツ帝国の「ギリシャ・東方正教文化圏」、イスラム勢力の「アラブ・イスラム文化圏」の3者が対立する構造になりました。

ちなみに、西ヨーロッパはラテン語を使い、ローマ・カトリック教会が、ビザンツ帝国はギリシャ語を使い、東方正教が、イスラム勢力はアラビア語を話し、イスラム教が支配的な文化圏です。この3者の対立により、地中海はその争いの舞台となっていきます。

Text:メトロミニッツ編集部


※こちらの記事は2015年5月20日発行『メトロミニッツ』No.151に掲載された情報です。

更新: 2016年11月23日

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