|地中海料理という、暮らし方。[6]|

どんな国があり、どんな人々が生きたのか。
5〜6世紀のローマ帝国

いつの時代も海上交易が盛んで、人種と文化が交流する場として、様々な栄枯盛衰を見つめてきた地中海。今日の地中海料理に至るまでの背景を探ろうと、周辺の国々の動き、庶民の暮らしなど、時代をさかのぼってみました。とはいえ、背景を探るほどまでには全く至ってはいませんが…。どうぞご参考に。

5〜6世紀 ローマ帝国

「すべての道はローマに通じる」。実際、ローマ帝国の全盛期には,世界各地からつながる道がローマに通じていたそうです。ヨーロッパ最大の帝国を築き、平和に暮らし、繁栄を極めたローマ帝国。ですが4世紀末(395年)、西ローマ帝国(首都ミラノ)と東ローマ帝国(首都コンスタンティノープル)に分裂します。

ローマは「パンとサーカスの都」とよく言われます。地中海沿岸全域を統治するまでの国家に成長する間に、敵国から搾り取った富がローマ市にはどんどん入ってきました。しかも、その富は市民に分けられ、ローマ市民はお金がなくても食べるには困りませんでした。穀物の配給制度があり(パン)、コロッセオで行われる剣闘士競技や競馬などの娯楽(サーカス)を市民はタダで楽しむことができたのです。

一方、貴族の宴会と言えば、贅を極めた料理を夕方4時頃から夜中まで延々と食べ続け、食べるために「吐く」という文化も備えていました。牡蠣、ウニ、伊勢海老なども珍重されていたそうです。養殖も盛んで、エスカルゴを東京ドームくらいの広さの水槽で育てていたことも。そんな食事の席では、やはりワインが欠かせません。少なくとも80種類の国産ワインがあり、それを水割りにして飲むのが普通でした。そして、そんなローマ人たちは、地中海とともに生きていました。

「マーレ・ノストラム」(我らが海)と呼んでいましたが、実際に地中海のほぼ全域を支配し、海上には交易網を巡らせます。また、物や人が移動できるよう、首都ローマを中心に陸路も整備。地中海交易が盛んに行われ、エジプトや北アフリカからは大量のオリーブオイルや小麦、インドからは香辛料、中国からは絹などが運び込まれてきたそうです。やがて古代ローマ帝国は約200年の平和な時を過ごした後、西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂します。

しかし、西ローマ帝国は100年も経たぬうちにゲルマン人の侵略を許し、滅亡してしまいます。その侵略は右の地図のように、西ローマの領地内に、5世紀前半にはイベリア半島に西ゴート王国が、北アフリカにはヴァンダル王国が、他にもフランク王国や東ゴート王国などのゲルマン人による新国家が次々と誕生。

476年、西ローマ帝国は滅亡へと導かれます。その時が「中世」の幕開けとされることが多く、ヨーロッパ混迷の時代の始まりです。一方、東のビザンツ帝国は、依然として強大な帝国として君臨し、ゲルマンに奪われた西地中海も取り戻すなど、その覇権は揺るぎないものでした。

Text:メトロミニッツ編集部


※こちらの記事は2015年5月20日発行『メトロミニッツ』No.151に掲載された情報です。

更新: 2016年11月16日

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