|地中海料理という、暮らし方。[5]|

どんな国があり、どんな人々が生きたのか。
古代〜中世・地中海の時代

いつの時代も海上交易が盛んで、人種と文化が交流する場として、様々な栄枯盛衰を見つめてきた地中海。今日の地中海料理に至るまでの背景を探ろうと、周辺の国々の動き、庶民の暮らしなど、時代をさかのぼってみました。とはいえ、背景を探るほどまでには全く至ってはいませんが…。どうぞご参考に。

紀元前〜4世紀のギリシャ〜ローマ帝国

ギリシャ文明とローマ文明は「地中海文明」という呼び名でまとめられることも多く、それが後のヨーロッパ文明の先祖に当たるとされています。よって、まずはそれらの古代文明から見てみたいと思うのですが、古代地中海を語る上で外せないのは3つの民族。ギリシャ人、フェニキア人、ローマ人です。地中海料理の原型は、ギリシャ辺りで見受けられました。

cPPS通信社

古代ギリシャ文明は、紀元前3,000年頃のエーゲ文明から始まり、ペルシア戦争後の紀元前5世紀頃に最盛期を迎えます。エーゲ文明とは地中海地方の最古の文明であり、クレタ文明、ミケーネ文明などの青銅器文明の総称です。そして、ギリシャ文明と言えば、アテネやスパルタなど、数々の都市国家(ポリス)を築き、高度な文化を持っていたことで知られています。

特に大きな遺産はオリンピック…も良いですが、「民主主義」ではないでしょうか。でニオラ先生は地中海料理がデモクラシーな料理だとおっしゃいましたが、デモクラシーの語源は古代ギリシャ語の「デモクラティア」。都市国家(ポリス)では、民会による民主政(デモクラシー)が行われていたのです。そんなギリシャの土地は山地が多く、乾燥して痩せていたそう。

しかし、もともとオリーブとブドウの木は繁茂していたと言います。この地に定住し、人々はすぐに大麦の栽培を始めます。麦は先の文明・メソポタミアの頃にはすでに栽培されており、「主食」の地位を獲得していたため、ギリシャ人にももちろん伝わっていました。しかし、小麦は塩害に弱く、大麦は比較的強くて育てやすいこともあり、古代はほとんど大麦ばかりを栽培していたようです。

一方、東地中海岸の現レバノンの辺りを拠点にしていたのが、海洋民族フェニキア人。紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始め、12世紀頃から地中海に交易網を確立させ、北アフリカからイベリア半島まで、地中海全域を横断する貿易商として活躍しました。古代オリエントから地中海地域にアルファベットを伝えたのも彼らです。そして、ギリシャにはワインの造り方を、スペインにはブドウの木を、南ヨーロッパすべての港に香辛料をもたらしました。

また、大麦を中心に育てていたギリシャ人は、フェニキア人を通じて、シチリア、エジプトから小麦を輸入したそうです。再びギリシャに話を戻せば、当時のギリシャ人の基本的な食事とは、「大麦のこねもの、オリーブ、ワイン、魚、祝祭日の肉」。すでに地中海料理の基礎ができ上がっていたことが見て取れます。この少し後の時代になると、ギリシャからはワインとオリーブオイルが輸出され、胡椒、ごま油、米をインドから輸入していたそうで。

フェニキア人はワインやオリーブオイルを地中海地域に広めてくれました。ちなみに、ギリシャ文明が栄華を極めた紀元前5世紀、パルテノン神殿が建設されたこの頃の富裕層の食事をのぞいてみれば、燻製肉や肉団子、ホワイトソース、肉入りパイ、チーズ、ケーキ…、実に豪華です。実は「ガストロノミー」(美食学)という言葉のルーツも古代ギリシャにあり、ガストロノミー的な食文化は、この後の古代ローマにも受け継がれていきます。

さて、次に古代ローマ帝国を見てみましょう。始まりは紀元前8世紀頃。初めはラテン人がローマに建国した小さな都市国家でした。当時は、まだ地中海沿岸全域に1,000以上あったであろう都市国家の中の1つでしたが、やがてイタリア半島全域を支配し、地中海沿岸全域を統治する巨大な文明までに成長します(右上の地図)。

Text:メトロミニッツ編集部


※こちらの記事は2015年5月20日発行『メトロミニッツ』No.151に掲載された情報です。

更新: 2016年11月9日

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