[Tokyo Elite Restaurant]
L'ANNEAU D'OR

Yasunobu Tanikawa

谷川康信

文:高橋綾子 写真:平方秀樹

パリ、ローザンヌ、そして東京、40年の料理人生に裏付けされた確かな技術は11年間ミシュランの星を獲り続けていることが証明しています。伝統と革新を表現するコース料理は多くの食通たちを虜にしているのです。

谷川康信(たにかわ・やすのぶ)

1954年生まれ、東京都出身。学生時代にアルバイトとして働いたフランス料理店での経験から料理人への道を志す。都内で修業後、1980年にフランスへ渡りパリの3ツ星「ルドワイヤン」などで研鑽を積む。帰国後は「シェ松尾」でソシエを務め、1989年に独立し下北沢に「シェタニ」をオープン。2005年に現在の地である四谷三丁目に移転し「ラノ―ドール」と店名を改める。

谷川康信という料理人を創り出した、子どもの頃の“食べた記憶”

「小さい頃から外食が多くほとんどプロの味しか食べてこなかった気がします。美味しいものが身近にある環境でした。お鮨が一番、特にトロが好きでしたね。当時は優しいおせっかいをしてくれる大人が多く、隣の席の知らない人から『蕎麦は2回ですするもんだ。はじめはそばだけで香りを味わい、そのあと少しだけそばつゆをつけて食べなさい』などと、“味わうこと”を教わったりしていました」

そう語る谷川さんは、例えばうなぎ屋さんでも「香ばしさを出すために皮はよく焼いてね」など、こだわりを伝えていたそうです。この時は料理の道に進む予感すらなかったとのことですが、美味しいものにはとにかく敏感だったとか。ただ、この環境がなければ未来は変わっていたかもしれません。「子供の頃にどう過ごしたかが将来につながっていることに間違いはないと思います」

料理の世界に入ったのは大学を卒業してから。飽きっぽい性格だということもあり、ルーティンワークは向かないだろうと感じていました。そんなある日、書店で何気なく西洋料理の本を見ていた時「これはすごく難しそうだから飽きずに長続きするのではないか」と感じます。そんな単純な気持ちから入った世界でした。

「でも縁があったのかな。そういえば、私の料理人生は縁に導かれてきたように思えてなりません。はじめは高校時代に母の友人からご紹介いただいた、当時の伊勢丹『プチモンド』の総料理長との縁。鍋洗いのアルバイトを1週間しただけでしたが、料理人としてスタートできたのも、パリの『ルドワイヤン』に入れたのも、このアルバイトで出逢った方々のおかげです」。

調理学校には行かず、たまたま募集していた赤坂のロシア料理「マノス」に勤め、1年くらいすると「プチモンド」の総料理長が成城学園の「オーク」に移るというので誘ってもらいました。ここにいなかったら料理人生を辞めていたと言います。

「はじめはホールからでした。将来は自分の店を持ちたいと漠然とですが思いはじめていたので、ホール経験は必要だと認識しながら頑張っていました。それに土地柄、芸能人も多くいらしていて、加山雄三さんとかアグネスチャンさんとか三船敏郎さんとか、テレビの中の人たちの素を見ることができたので結構楽しんでやっていました。また、同期との絆ができたのも初めてのことでこれが良かった。苦しい時、辛い時、乗り越えられたのも彼らのおかげでもあります」そう谷川さんは懐かしそうに語ります。

「今でも年に1度集まって昔話で盛り上がっていますよ。当時は、ホールをしばらく経験し、いよいよ厨房に入りました。当然のことながら鍋や皿洗いからスタートし、サンドウィッチやサラダを作らせてもらうようになり、次に仕込みをやらせてもらい、そしてストーブ前を担当させてもらいました」

仕事が面白くなったのはこの頃。同時に、本物を知りたい、知らなければいけないという欲もでてきました。そんななにかモヤモヤしていたところにシェフから「フランスに行ってみないか」と言われたのです。

たくさんの縁によって運命が回り始めたことが今だからわかります

「すごいタイミングでした。心の中を覗かれていたのかと思いましたね。そしてシェフの知人を介してパリの三ツ星『ルドワイヤン』に入ることができたのです。しかし語学ができないとどうにもならず休憩時間を使って語学学校に通いました。朝、仕込みをしてランチ営業の後、学校に行き、また戻ってディナー営業、夜中に帰宅し宿題をして少し眠り、朝レストランに行く生活。本当にハードでしたが、言葉ができないのでもう必死ですよ。4ヶ月で中級クラスまで上がり生活ができる程度の語学力がついたところで卒業しました。というのは表向きで、口語でのディスカッションの授業についていけなかったというのが真実かな」と笑う谷川さん。

パリの厨房では料理人と皿洗いは別扱いだったといいます。料理人という立場はレベルが高く、新人でも鍋や皿を洗う修業はありませんでした。日本だと皿洗いからステップアップしていくのが一般的ですが、パリではまず全体を把握させ得意な分野を選ばせてくれます。だから谷川さんは、初めからソース部門に入れてもらえました。皿洗いはありませんがCommis(見習い)なのでソース部門の雑用係です。意地悪な人がいなかったことが救いだったそう。

「フランス人の意地悪は例えば蓋に塩がのせてあったら鍋が熱いから気をつけてというサインなのですが、わざとのせずにおいておく。するとCommisはそのまま手で鍋を持ってしまうので火傷する。そういうレストランで修業した人は不運としか言いようがない。私は運が良かったと思います。必死に仕事を覚え、味を覚えた結果、ローザンヌの格式のある五つ星ホテル『ボー・リヴァージュ・パレス』のメインダイニングでソーシエ(ソース担当)として勤め28歳で帰国しました」

それから知人の紹介で「シェ松尾」でお世話になることになった谷川さん。松尾幸造シェフはフランスで修業されていたこともあり、システムや考え方がフランスと似ていたため居心地が良く、気がつけば5年が経っていたそうです。ただ、シェフが作ったものをどれだけ正確にコピーできるかが仕事でした。

「自分が作りたいものは賄いでしか作れず、だったらレシピを超えるしかなかった。レシピを頼ってしまうと新しいものは生み出せないことを知りました。食材と対話し、その食材が何を求めているのかを見極め料理してみる。何度も失敗を繰り返して自分の味を掴んでいったのです。一生懸命にやった結果の失敗は、大いにするべき。挫折なくして成長はしないのですから」

初めて自分の店を持てた、でも多忙すぎてほとんど覚えてないのが現状でした

独立を考えるきっかけとなったのは「徹子の部屋」に出演されていた志度藤雄氏の言葉から。銀座「四季」のシェフであった志度藤雄さんは大正末期に密航してフランスに渡り、強制送還と脱走を繰り返しながら、日本人で初めて本格的にフランス料理の修業をした人だそうです。そんな大先輩が番組の中で「80歳になっても現役でいたいと言ったら主治医がそれは無理だと。バリバリでできるのはせいぜい45歳くらいまでだよと言われた」と話していたのだそう。それを聞いて谷川さんは、あと10年しかないのか、早く独立しなければ、と焦りました。

「結局、60歳過ぎた今でも現役ですが(笑)。時はバブル時代、いざ物件を探してみると山手線内は保証金が高くて手が出せませんでした。そこで巡り合ったのが下北沢の17,5坪の店だったのです。見に行ってみると客層も街の雰囲気も物件も非常にしっくりきた。私は新宿、登戸と住み移り、成城で働いたこともあるので、もしかしたら小田急線に縁があるのかなとも思い決めました。12席の真新しい店ができ、感激しました!と言いたいところですが、もうやることも考えることも多過ぎて。頭がパニックになっていたのであまり覚えていないですね。人間ってキャパシティを超えるとアホになるんですよ」

知り合いもいない下北沢で初めてのお客さまは、かな書家の東山一郎先生でした。ご近所で通りすがりにドアを開けてくれたそうです。店のスペシャリテである「幻の卵の半熟蒸し トリュフとフォアグラのソース」は、東山先生から「幻の卵」をいただき、先生に食べてもらいたいとの想いからできたものだそう。珍重されている寒卵なので“出逢いもの”をテーマに同じく冬がおいしい黒トリュフを合わせたと言います。

「下北沢から四谷三丁目に移転しても定期的にお越しいただいているので、本当に大切なお客さまです。1日1〜2組にしているのも、大切なお客さまに窮屈な思いをさせたり料理をお待たせすることがないようにしたいからなのです。それが私のおもてなしです」

40年近く料理人生を送っている自分が言えること

「目指す最終的な料理の形が見えたのは60歳を過ぎてからですね。どこでも基礎、基本を大事にしなさいと教えられると思いますが、それは基本をマスターすることが何よりも大切だからです。技術だけを磨くのではなく、脳と手を連動させる技を磨く。つまり、潜在意識に基本を叩き込み、基本を意識せずに料理をできるようになること。そうすれば意識は基本から開放されます。感性から生まれる創造力に集中することができるのです。独立すると誰も教えてくれなくなります。その時に助けてくれるのは、基礎。料理人として大成したければ基本を徹底的に身につけることです。また、スタイルは自然と生まれてきます。誰の中にもある創造的なインスピレーションがスタイルを生み出すのです。料理とは、感性が生み出す創造的なプロセスと言えるのではないでしょうか」と、谷川さん。

「また、メニューはどうやって考えるのかとよく聞かれます。私の場合、新しい料理は厨房で閃くことが多いです。もしくはお風呂。髪を洗っている時に『あっ、これだ』と。おそらく気持ちが楽になっている時にアイディアが出てくるのでしょう。私にとって厨房は“水を得た魚のよう”になれる場所ということです。不思議ですよね、美味しいものは好きだったけれど大学を卒業するまで料理なんてしたことがなかったのに。料理は経験すればするほど面白くなりました。同じことは絶対になくて、たとえ今日うまくできてもそれが続かない。じゃ、どうしたらうまくいくのか検証するのも面白かった。あの日、本屋での直感は正しかったということです。なぜなら今も飽きることなく楽しんで続けている自分がいるから」

シェフにインタビューして感じたのは、「運命は決められているが、それをどうするかは努力次第」ということでした。シェフが「例えばセンスを磨くとか言いますが、感性は一人ひとりに備わっているのだと思います。努力をコツコツ続けていると、あるタイミングで大きく飛躍する時が必ず来るものです。”センスを磨く”とは、それを繰り返していくことなのかもしれません。その時は気づかなくても、後で振り返ったときに『あぁ、あの時がそうだったのか』とわかるわけです」と話しますが、まさにシェフそのものなのだと思いました。

フランス語で黄金の環を意味する「ラノードール」。つまりこれは“幸せの循環”なのです。天からの恵みである生産物、食べ手、作り手、皆に幸せが循環する店で、谷川シェフはいつまでもカッコ良い料理人生を歩み続けてくれることでしょう。

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L’ANNEAU D’OR

L’ANNEAU D’OR

ラノードール

エリア
四谷三丁目
ジャンル
フランス料理
営業時間[昼]
土日祝11:30~15:00(13:30LO)
営業時間[夜]
17:30~22:30(20:00LO)
定休日
不定休

L'ANNEAU D'ORラノー・ドール

17:30~20:00(LO)
ランチは土曜日・日曜日・祝日のみ 11:30~13:30(LO)
不定休

住所:
東京都新宿区四谷4丁目6−1
四谷サンハイツB1
TEL:
03-5919-0141
URL:
http://www.lanneaudor-tokyo.com/

文:高橋綾子 写真:平方秀樹

更新: 2018年1月30日

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