アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ

  • #27|現代イタリア料理の第一人者マッシモ・ボットゥーラシェフの考えるイタリア料理の未来

    #27|現代イタリア料理の第一人者マッシモ・ボットゥーラシェフの考えるイタリア料理の未来

    2015年度の「世界のベスト・レストラン50」にて、第2位となった「オステリア・フランチェスカーナ」を率いる天才料理人マッシモ・ボットゥーラ。料理を通じて世界に向けてメッセージを放ち続ける彼に、イタリア料理とは何か?そして、イタリア料理の未来を聞いた。

  • #26|イタリア在住ジャーナリスト池田匡克さんに聞いた、現代イタリア料理の存在意義

    #26|イタリア在住ジャーナリスト池田匡克さんに聞いた、現代イタリア料理の存在意義

    ここまでは、東京でのイタリア料理についてお伝えしてきましたが、ここからは、イタリア在住のジャーナリスト池田匡克さんに、現地イタリアにおける食の最新事情を追っていただきました。

  • #25|イタリア在住ジャーナリスト池田匡克さんに聞いた、現地イタリアの最新フード

    #25|イタリア在住ジャーナリスト池田匡克さんに聞いた、現地イタリアの最新フード

    ここまでは、東京でのイタリア料理についてお伝えしてきましたが、ここからは、イタリア在住のジャーナリスト池田匡克さんに、現地イタリアにおける食の最新事情を追っていただきました。まずは、イタリアの最新フードTOPICSからお届けします。

  • #24|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Pizzeria e trattoria da Isa|ピッツェリア エ トラットリア ダ イーサ[中目黒]山本尚徳シェフ

    #24|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Pizzeria e trattoria da Isa|ピッツェリア エ トラットリア ダ イーサ[中目黒]山本尚徳シェフ

    |Pizzeria e trattoria da Isa|ピッツェリア エ トラットリア ダ イーサ[中目黒] 山本尚徳シェフーHisanori Yamamotoー 1977年 静岡県生まれ。 1995年 18歳で上京。下北沢のイタリア料理店入店。 1998年 イタリア各地を旅し広く食文化を学ぶ。ここでナポリ・ピッツアに出会う。 2002年 帰国後、東京のイタリア料理店に勤務。06年にナポリを目指して再びイタリアへ。 2007年 世界ピッツァ選手権総合優勝。続く08年も総合優勝。 2010年 「ピッツェリアエトラットリアダイーサ」オープン。

  • #23|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Taverna Tharros|タロス[渋谷]馬場圭太郎シェフ

    #23|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Taverna Tharros|タロス[渋谷]馬場圭太郎シェフ

    |Taverna Tharros|タロス[渋谷] 馬場圭太郎シェフーKeitaro Babaー 1971年 新潟県生まれ。 1990年 調理師専門学校卒業後、「シェ松尾」「ビストロダルブル」などで修業。 1994年 渡伊。シエナ「カーネエガット」「フオーリポルタ」、サルデーニャ「サンディーラ」、シチリア「ラムチャーラ」で修業。 1997年 一時帰国。 1998年 再渡伊、サルデーニャ「ラグリッタ」「コルサーロ」などで経験を積み、帰国。 1999年 表参道「ナプレ」シェフの後、赤坂「ラ・スコリエーラ」シェフ。 2007年 渋谷に「タロス」オープン。

  • #22|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|il Pregio|イル プレージョ[代々木上原]岩坪滋シェフ

    #22|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|il Pregio|イル プレージョ[代々木上原]岩坪滋シェフ

    |il Pregio|イル プレージョ[代々木上原] 岩坪滋シェフーYutaka Iwatsuboー 1978年 東京都生まれ。 1997年 調理学校卒業後、広尾「アクアパッツァ」入店。5年半、日高良実氏に師事。 2003年 渡伊。ピエモンテ州「リストランテフリポー」、カンパーニァ州「トッレデルサラチーノ」、ヴェネト州「ラペーカ」等、北・中部・南・シチリアやサルデーニャの島々までイタリア全土に渡って研鑽を積む。 2006年 帰国。南青山「クッチーナカッパス」料理長を3年、中目黒「リストランテカシーナカナミッラ」料理長を3年務める。 2012年 「イルプレージョ」をオープン

  • #21|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|La Sosta|ラソスタ[白金台]武田正宏シェフ

    #21|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|La Sosta|ラソスタ[白金台]武田正宏シェフ

    |La Sosta|ラソスタ[白金台] 武田正宏シェフーMasahiro Takedaー 1974年 東京都生まれ。高校時代にアルバイトしたイタリアンで料理に目覚める。 1994年 調理師専門学校を卒業後、「リストランテ山﨑」へ入店。現「リストランテ濱﨑」の濱﨑龍一シェフの下で4年半の修業を積む。 1999年 渡伊。トスカーナやエミリア・ロマーニャ州の海沿いの店を中心に約6年修業。 2005年 帰国。「リストランテ山﨑」4代目料理長として3年、小田原「イルマーレ」で2年働く。 2011年 白金台「旧名イルーチ」の料理長に就任。新名「La Sosta」ラソスタ

  • #20|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|VaccaRossa| ヴァッカロッサ[赤坂]渡邊雅之シェフ

    #20|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|VaccaRossa| ヴァッカロッサ[赤坂]渡邊雅之シェフ

    |VaccaRossa|ヴァッカロッサ[赤坂] Masayuki Watanabe 渡邊雅之シェフ 1969年 千葉県生まれ。 1987年 銀座「ヴォーノ・ヴォーノ」入店。1年半の修業を経て、渋谷「トゥリオ」で7年修業する間に、イタリアでビステッカに出合い、芝浦の食肉市場で2ヵ月研修。 1996年 渡伊。トスカーナ州「ラ・キウーザ」で2年半研鑽を積み、帰国。 2013年 赤坂「ヴァッカロッサ」をオープン。2002年青山一丁目「ベッカッチャ」をオープン。

  • #19|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Volo Cosi|ヴォーロ・コズィ[白山]西口大輔シェフ

    #19|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Volo Cosi|ヴォーロ・コズィ[白山]西口大輔シェフ

    |Volo Cosi|ヴォーロ・コズィ[白山] 西口大輔シェフーDaisuke Nishiguchiー 1969年 東京都生まれ。 1989年 フランス料理店で修業開始。2年後、イタリア料理に転向し、西麻布「カピトリーノ」へ。 1993年 渡伊。ヴェネツィア、ヴェローナを経て、ミラノ「サドレル」でパスタ部門シェフ。 1996年 帰国。代々木上原に「ブォナ・ヴィータ」をオープン。 2000年 再渡伊。ロンアバルディア「ロカンダ・ヴェッキア・パヴィア」へ。翌年同店シェフに。 2006年 帰国。白山に「ヴォーロ・コズィ」オープン。

  • #18|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Incanto|インカント[広尾]小池教之シェフ

    #18|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Incanto|インカント[広尾]小池教之シェフ

    |Incanto|インカント[広尾] 小池教之シェフーNoriyuki Koikeー 1972年埼玉県生まれ。 1993年大学在学中から、イタリア料理の世界へ「ラ・コメータ」「バルテノぺ」などで修業を積む。 2003年イタリアへ。プーリア州、シチリア州、カンパーニャ州、ウンブリア州、ピエモンテ州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州など6州で修業を重ねながら、幾度もイタリア全州を渡り歩く。 2006年帰国。翌年、イタリアで出会ったソムリエ・竹石航さんがオーナーを務める「インカント」のオープンと共にシェフに

  • #17|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Icaromiyamoto|イカロミヤモト[中目黒]宮本義隆シェフ

    #17|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Icaromiyamoto|イカロミヤモト[中目黒]宮本義隆シェフ

    |Icaromiyamoto|イカロミヤモト[中目黒] 宮本義隆シェフーYoshitaka Miyamotoー 1974年   神奈川県生まれ。 1993年   イタリア料理人の道へ。「アントニオ」、「ロニオン」などで修業を積む。 1999年   渡伊。ロンバルディア州「アル・ベルサリエーレ」、トレンティーノ=アルト・アディジェ州「ティロル」など主に北イタリアで働く。ヴェネト州やピエモンテ州でも短期研修を行う。 2006年   7年にも及ぶイタリア修業を終えて帰国。 2008年   2年間の準備期間を経て、兄の

  • #16|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Restaurant L’asse|レストラン ラッセ[目黒]村山太一シェフ

    #16|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|Restaurant L’asse|レストラン ラッセ[目黒]村山太一シェフ

    |Restaurant L’asse|レストラン ラッセ[目黒] 村山太一シェフーTaichi Murayamaー 1975年   新潟県生まれ。16歳から旅館で2年間働く。 1994年   京都の料亭に入店。3年の修業後、和食店で4年腕を磨く。 2000年   渡伊。フィレンツェ「アルフレード」で8ヵ月、ミラノ「アイモ・エ・ナディア」で2ヵ月、ミラノ「エミリア・エ・カルロ」で2年8ヵ月修業。 2005年   イタリアのミシュラン三ツ星店「ダル・ペスカトーレ」で3年半修業。副料理長を務める。 2011年 &nb

  • #15|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ|【リストランテ ヤギ:八木康介シェフ】お客さん本位は都内随一!?洗練と親しみのリストランテ

    #15|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ|【リストランテ ヤギ:八木康介シェフ】お客さん本位は都内随一!?洗練と親しみのリストランテ

    自分にしかできないイタリア料理を表現し、今、この東京の第一線で活躍するシェフたち。そんな精鋭シェフのアイデンティとは一体何なのか、東京を代表する11名のシェフにお話を伺いました。今回は代官山「リストランテ ヤギ」の八木康介シェフです。

  • #14|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|ペレグリーノ|高橋隼人シェフ

    #14|今、前線を走るイタリア料理の精鋭シェフたち|ペレグリーノ|高橋隼人シェフ

    自分にしかできないイタリア料理を表現し、今、この東京の第一線で活躍するシェフたち。 そんな精鋭シェフのアイデンティとは一体何なのか、東京を代表する11名のシェフにお話を伺いました。まずは、恵比寿「ペレグリーノ」の高橋隼人シェフです。

  • #13|井川直子さんに訊く「イタリア料理のシェフたちの歩みと現在地点」

    #13|井川直子さんに訊く「イタリア料理のシェフたちの歩みと現在地点」

    バブルの景気の勢いに乗り、瞬く間に世の老若男女を虜にしたイタリア料理。大躍進を続けてきたが、やがて飽和状態となり、受難の時代を迎える。このブームは、何を生み、何を失わせ、何に気づかせたのか。生き残りを懸けた料理人たちは、今また新しいイタリア料理の世界を見せようと進化し、独自のアイデンティティをさらに強く持つようになった。ここではその軌跡を辿る。

  • #12|時代を切り開いた立役者たちー2000年代ー個性豊かなスタイルが百花繚乱

    #12|時代を切り開いた立役者たちー2000年代ー個性豊かなスタイルが百花繚乱

    「日本」「和」を意識したイタリア料理が芽生えた90年代ですが、それはあくまでも東京中心のムーブメントでした。2000年代は、さらに地方に広がっていったように思います。その先陣をきったシェフのひとりが京都、そして東京・丸の内に「イル・ギオットーネ」を展開する笹島保弘さんでしょう。イタリアには20州それぞれに特徴的な食材、調理法がありますが、笹島さんはその延長として「京都はイタリア21番目の州」だと考えました。地元である京都を核とし、まるで同心円を描くように発想を広げて、昆布だしでパスタをゆでたり、柚子で香りをつけたり、骨切りにした鱧と松茸をスパゲッティに絡めたりしました。結果、それもイタリア料理

  • #11|2000年代、東京のイタリア料理を牽引した当代を代表するシェフたち

    #11|2000年代、東京のイタリア料理を牽引した当代を代表するシェフたち

    野菜を多用した美しい皿のスペシャリスト 87年に渡伊。フィレンツェのホテルや三ツ星を獲得したマントヴァの「ダルペスカト―レ」などで修業をし、洗練されたリストランテのイタリア料理に触れて、刺激を受けて帰国。数多くの名シェフを生んだ店として知られる「リストランテ山﨑」では野菜を多用した美しいイタリア料理で話題を呼んだ。01年にオープンした「リストランテ濱﨑」は料理だけではなく青山の隠れ家的な上質な雰囲気に癒やされる客多数。出身地である鹿児島県より「鹿児島食の匠」を任命され、鹿児島の食材を濱崎流の洗練された料理にまとめながら地元を応援している。

  • #10|東京イタリアン|時代を切り開いた立役者たちー1990年代ー

    #10|東京イタリアン|時代を切り開いた立役者たちー1990年代ー

    80年代からの流れを受けて、90年代は加速度的に「イタリア化」が進みます。世はまさに百花繚乱の時代。リストランテやトラットリアといったレストランのオープンラッシュに加えて、バール、ピッツェリア(ピッツァ専門店)、ジェラテリア(アイスクリーム専門店)などイタリア食文化を形成するさまざまな業態が次々と上陸し、一大イタリアブームを巻き起こします。まずは、オープンラッシュとなったレストランの変化に触れなければなりません。80年代の料理が、もっぱら「本場イタリアの味をいかに再現するか、近付けるか」にしのぎを削っていたのに対し、90年代はイタリアの味のベースに「和」の要素を盛り込む傾向が芽生えてきます。

  • #9|1990年代、東京のイタリア料理を牽引した当代を代表するシェフたち

    #9|1990年代、東京のイタリア料理を牽引した当代を代表するシェフたち

    地方料理の魅力をシンプルかつダイナミックに 1986~89年のイタリア修業で回ったレストランは、北から南までの14軒。各地を巡るうちに気付き、魅せられたという「土地に根差した地方料理のおもしろさ」をとことん学んだところに日髙氏の強みがある。店名にも据えた看板料理の「アクアパッツァ」も然りだが、「地方料理の伝統を忠実に」ではなく、日本の素材の持ち味を生かし、洗練とオリジナリティを加えてシンプルかつダイナミックに再現した料理の数々は、90年代に「新しい時代の息吹」を送り込んだ。日本の農業、漁業生産者とも早くから交流を深め、業界の発展に寄与してきた1人である。

  • #8|1980年代、東京のイタリア料理を牽引した当代を代表するシェフたち

    #8|1980年代、東京のイタリア料理を牽引した当代を代表するシェフたち

    生魚のカルパッチョの海の親 最初に料理長を務めた「グラナータ」は、1982年の開業当時、本格的なイタリア料理を供する数少ない高級レストランで、在京のイタリア人が贔屓にする店として知られた。独立後の現店舗は「オチアイの小食堂」の店名が示すように、庶民が普段に通うイタリア食堂を目指し、毎日でも食べ飽きない本場イタリアの味をコンセプトとする。テレビ、雑誌、書籍などでも、家庭で楽しめるわかりやすいイタリア料理を紹介し、人気シェフに。もともとは生の牛フィレ肉で作る「カルパッチョ」を、刺身からの発想で、生魚で作った最初のシェフと言われる。

  • #7|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ|モダンイタリア料理「ヌオーヴォ・クチーナ」ってなに?

    #7|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ|モダンイタリア料理「ヌオーヴォ・クチーナ」ってなに?

    ヌオーヴァ・クチーナとはイタリアの料理界で1970~80年代に一大ムーヴメントとなった「新イタリア料理」。60~70年代にフランスで起こった「ヌーヴェル・キュイジーヌ」(新フランス料理)の流れを受け、イタリアに広がった。 目指したものは伝統料理の見直し。それまでの時代には当たり前だった過度の火入れや濃い味つけを排し、「素材の風味」を生かすための的確な火入れ、軽やかで洗練された味つけ、盛りつけの美しさが追求された。この改革は高級志向のリストランテはもとより、より大衆的なトラットリアなどにも広がりを見せた。 ヌオーヴァ・クチーナの最大の旗手と謳われたのが、85年にイタリア初の『ミシュラ

  • #6|時代を切り開いた立役者たちー1980年代ー新イタリア料理の到来とシェフのクローズアップ

    #6|時代を切り開いた立役者たちー1980年代ー新イタリア料理の到来とシェフのクローズアップ

    私が料理専門誌へ配属された80年代初めを振り返ると、当時の誌面を華々しく飾っていた西洋料理はフランス料理のみ。イタリア料理はスペイン料理などと「その他の西洋料理」と扱われるかわいそうな存在でした。 イタリア本国の情報は少なく、日本で取材できるレストランの数も限られ、イタリア料理を知りたいという読者も決して多くはなかった。だから、特集企画で独り立ちさせられるほどのインパクトがなかったのです。80年代以前に蒔かれていたイタリア料理のタネが実を結び、脚光を浴びるには、まだ少しの時間が必要でした。それが変っていったのが80年代です。

  • #5|時代を切り開いた立役者たちー1970年代ー国際派へデビュー。本場への憧れと意識の芽生え

    #5|時代を切り開いた立役者たちー1970年代ー国際派へデビュー。本場への憧れと意識の芽生え

    日本人がイタリアをリアルに感じた2つの大きな国際イベントがありました。1つは1964年の「東京オリンピック」。諸外国から多くのオリンピック関係者、応援客が来日しました。 先の「アントニオ」にもイタリア人だけではなくアメリカ人やスペイン人が押しかけ、パスタやピッツアを食べていたそうです。そのおいしそうで楽しそうな様子は雑誌やテレビ、新聞でも紹介されました。そしてもう1つが70年に開催された「日本万国博覧会」、通称「大阪万博」です。 ここで日本は国際的なデビューを果たすとともに、日本人は外国のさまざまな文化を肌で触れることになりました。シェフたちの中には大阪万博で外国に憧れを持ったとい

  • #4|時代を切り開いた立役者たち「1940~1960年代」

    #4|時代を切り開いた立役者たち「1940~1960年代」

    第二次世界大戦で日本・ドイツ・イタリアが同盟を結んでいたことは、日本のイタリア料理の歴史にも少なからず影響を及ぼしました。そのキーパーソンがアントニオ・カンチェーミというイタリア人。青山などで展開する老舗「アントニオ」の初代オーナーです。彼はイタリア海軍の料理人として神戸に寄港中、イタリアが連合国に降伏したので捕虜にされてしまいました。でも、そこで日本人女性と恋に落ち「アントニオ」を開いたという、なんともドラマティックな展開となったのです。 「アントニオ」にはまず当時の日本に多くいたアメリカ人が通いました。彼らはイタリア料理好きで、日本にピザやスパゲッティを持ち込んでいます。そしてイタリ

  • #3|時代を切り開いた立役者たち「明治〜昭和初期」

    #3|時代を切り開いた立役者たち「明治〜昭和初期」

    日本のイタリア料理のはじまりは明治時代まで遡ることはできますが、大きく動き始めたのは、まだここ30年くらいでしょう。月日としては浅いかも知れません。でもそれは、おいしいイタリア料理を私たちに伝えようとしてくれたシェフたちの熱くて濃い情熱の歴史でもあります。そんな歴史をイタリアの食文化に精通する河合寛子さんと土田美登世さんに振り返っていただきます。

  • #2|風土と歴史とイタリア料理の関係性

    #2|風土と歴史とイタリア料理の関係性

    イタリア料理とは何かと言われれば、パスタにピッツァ、いやいや郷土料理の集合体で1つには括れない、というやや難解なお話も。ここでは、イタリア料理ができてきた背景について、主に風土と歴史という2つの側面から、その関係性を、食文化を伝えるフードコミュニケーターとして活躍する柴田香織さんに紐解いてもらいました。

  • #1|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ|イタリア20州を感じる旅へ

    #1|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ|イタリア20州を感じる旅へ

    本特集は、先にご紹介した“東京エリートレストラン第1弾“フランス”に続く、第2弾“イタリア”です。イタリアと言えば、ミラノ万博が話題に。「地球に食料を、生命にエネルギー」をテーマに、140以上の国と地域が参加、世界中からおよそ2,150万人もの来場者が集まり、大いに盛り上がりを見せました。日本からも精鋭の料理人たちがミラノへ渡り、その腕前を披露したことはまだ記憶に新しいかと思います。そんな盛り上がりが冷めやらぬまま、2016年には、日伊国交150周年の記念の年を迎えます。1866年に日本とイタリアが修好通商条約を結び、国交を開設してから150年が経とうとしているのです。この時の中で、日本人はイタリアという国に憧れ、ファッション、車、デザイン、サッカー、映画など、あらゆるイタリア文化を暮らしの中に取り込んできました。中でも、「イタリア料理」は私たち日本人にとって、最もイタリアを身近に感じる日常的なものではないでしょうか。しかし、そんなイタリア料理は今、何度かのブームを経て、爛熟とも飽和状態とも言われています。本場イタリアの味を日本で再現したいと奮闘した創成の時代から、数十年が経ち、今やシェフが己の“アイデンティティ”を武器に、勝負をする時代となったのです。本特集では、イタリアの風土や歴史に見る料理の背景を紐解き、イタリア料理を日本に根付かせた立役者たちに敬意を払い、その時代の変遷を辿りながら、今東京のイタリア料理界の最前線を猛烈な勢いで走る精鋭シェフたちのアイデンティティに迫りたいと思います。

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