SPECIAL INTERVIEW

作家・阿古真里さん
料理家を語る時代を読む。

料理教室やテレビ、書店の書棚で見かける「料理家」(料理研究家)という方々のことを、皆さん、どのくらいご存知ですか?

阿古真理さん{Mari Ako}

1968年兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。少女時代はお菓子作りにはまる。 広告会社勤務などを経て、現在は食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執 筆。著書に『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(筑摩書房)など。得意料理はひじき の煮物。現在は、取材でパンにまみれ中。

様々なレシピをまとめた〝料理本?が百花繚乱の昨今。その著者の多くが、料理研究家です。なぜ、こんなにも料理研究家の本が求められるのか?そもそも、料理研究家ってどういう人たち?自分に合う料理研究家はどうやって探せばいい?というわけで、『小林カツ代と栗原はるみ』(新潮新書)の著者である作家で生活史研究家の阿古真理さんに、料理研究家という存在について教えてもらいました。

再現性が高いからこそ支持される料理家レシピ

料理研究家とは、一般に、「料理について研究し、料理教室や料理本、または料理番組などのメディアを通じて料理を伝える人」のことです。ここ数年、書店には定番の家庭料理のレシヒ゜をまとめた本か゛目立ちます。その理由を、「戦後年の歴史は、料理を身内て゛教え合う文化か゛失われた歴史て゛もあるからて゛は」と、阿古さんは分析します。「2000年代に入り、フート゛スタイリストの飯島奈美さんか゛映画やト゛ラマなと゛の食卓用に作る料理か゛注目を集めました。その多くか゛、唐揚け゛なと゛、昭和のお母さんたちか゛作ってきた定番の家庭料理て゛した。一方、料理研究家・飛田和緒さんの『常備菜』という本か゛ヘ゛ストセラーになっています。常備菜はおは゛あちゃんたち世代か゛当たり前のように作っていたものて゛した。飯島さんや飛田さんの本か゛人気なのは、戦後、世の中か゛劇的に変わり、手に入る食材も、女性の生き方も、家族の形態も変わる中て゛、親世代から料理を継承することか゛減ってきたから。た゛からこそ、彼女たちか゛提案する、オーソト゛ックスて゛、美味しい日々のこ゛はんのレシヒ゜か゛注目を集めてきたように思います」て゛も、レシヒ゜た゛けなら今はネット上にもあふれています。それて゛も料理研究家のレシヒ゜か゛人気なのは、「再現性か゛高く、作る人にとって美味しいから」と阿古さん。「料理研究家のレシヒ゜は試作を重ねて、再現性を追求しています。た゛から、基本的にはと゛んな人か゛作っても、その料理研究家の味に近つ゛けるものて゛す。それはクックハ゜ット゛なと゛て゛検索する一般の方のレシヒ゜とはやはり違います」自分にとってそのレシヒ゜か゛美味しいかと゛うかを見極めるのは、気になる人のレシヒ゜て゛作ってみるのか゛早道て゛すか゛、阿古さんか゛これまて゛の料理研究家を比較する時に参考にしたのか゛、「ヒ゛ーフシチューのレシヒ゜」た゛ったそう。「使う食材はほとんと゛変わらす゛、フ゜ロセスもほとんと゛同し゛。た゛からこそ、料理研究家の個性か゛表れるのて゛はと考えました。例えは゛、テレヒ゛放送草創期から活躍した江上トミさんのヒ゛ーフシチューは、2時間かけてト゛ミク゛ラスソースから作る本格派なか゛ら、干ししいたけの出汁て゛本場の味を再現。一方、年代以降、現代て゛言う〝時短レシヒ゜?の元祖として人気を博した小林カツ代さんは、ト゛ミク゛ラスソースは市販の缶詰を使用と、同し゛メニューて゛も作り方はいろいろ。自分の好きな料理を比へ゛てみることも、目指す美味しさに出合う近道かもしれません」

外国料理からおふくろの味まで時代に寄り添う料理家たち

ところて゛、私たちか゛料理研究家のレシヒ゜を見る時の目的や対象は大きく2つあると、阿古さんは言います。1つは、作り方か゛分からない、または作り方か゛曖昧な料理のレシヒ゜を調へ゛る時、「今日、何の料理にしよう?」と考える時の「検索の対象」として。そしてもう1つか゛、「趣味を実行したり、憧れの人に近つ゛くための対象」として。料理研究家か゛愛用する調味料や道具なと゛か゛注目されるのも、同し゛美味しさを再現て゛きそうた゛し、同し゛ものを使うことて゛、料理か゛上手になった気か゛するから。そのライフスタイルを真似ることて゛、なりたい自分に近つ゛くことか゛て゛きそうた゛から。料理から暮らしを提案する料理研究家は、手の届く幸せと憧れを実現て゛きる存在て゛もあるのて゛す。家庭料理のレシヒ゜を考案する「検索の対象」としての料理研究家の歴史は、近代て゛は明治時代にさかのほ゛ります。この頃、初の女性向けの料理教室や料理研究家という存在か゛登場。その後、戦後、高度経済成長期に入り、テレヒ゛か゛普テレヒ゛本放送開始/日本初のスーハ゜ーマーケット「紀ノ国屋」か゛開店年代[高度経済成長期・初期]地方の郷土料理や、憧れの...及すると、スター料理家か゛誕生します。それか゛、熊本なまりて゛、おふくろさん的な温かさのあった江上トミさんや、外交官の妻として世界を飛ひ゛回っていたセレフ゛料理家の飯田深雪さんて゛した。「戦後、結婚して主婦になった女性は、台所の主役となりました。彼女たちは家族を守るために料理を作ることに、喜ひ゛と誇りか゛ありましたか゛、実は、戦後の貧しい時代の中て゛、料理をきちんと身につけられなかった人も多かった。また、貧しかった時代には縁か゛なかった肉や乳製品か゛買えるようになり、レタスやトマトなと゛の西洋野菜も流通し始めますか゛、そういった食材をと゛う料理すれは゛いいか分からない。て゛も、日々の献立は考えなくてはいけない。そんな女性たちにとって、おふくろの味や知らない外国料理を教えてくれる料理研究家は頼りになる存在て゛した」時か゛経ち、時代か゛豊かになり、衣食住か゛足りた時、「自分の生き方はこれて゛いいの?」というある種の目覚めとともに働く女性か゛増え、ウーマンリフ゛なと゛女性の自立運動か゛始まります。多くの人か゛欧米のライフスタイルに憧れる中て゛、当時の家庭て゛はハンハ゛ーク゛なと゛の洋食か゛よく作られていました。「おは゛あちゃんの時代の料理は、煮もの中心て゛、鍋1つて゛は゜っと作れるものて゛した。て゛も、洋食は工程か゛多く、さらに美味しく作るには技か゛いる。働く女性にとって、毎日手間のかかる料理を何品も作るのは結構大変て゛した。そこて゛登場したのか゛、家庭料理に革命を起こした小林カツ代さんて゛す。品数を減らさす゛、内容も変えす゛に、簡単に,美味しく作る彼女のレシヒ゜は絶大な支持を得ました」

時短レシピの小林カツ代。憧れ主婦の栗原はるみ

食事は一汁三菜か゛基本、料理は手間暇かけるほと゛心か゛こもるとされてきた中て゛、例えは゛一度ゆて゛て炒めるのか゛定番た゛った青菜も「ゆて゛す゛に直に炒めてOK」、揚け゛物も「少ない油て゛OK」。食材も調味料も初めから鍋に入れて煮るスヒ゜ート゛煮...。そのレシヒ゜の多くか゛、今て゛は当たり前のように行われている時短レシヒ゜て゛した。それは、自らもワーキンク゛マサ゛ーとして忙しい日々て゛、子と゛もたちのお弁当を作り続けてきた中て゛生まれたもの。大胆な発想て゛食材を使い、料理をする彼女のレシヒ゜は、美味しいものを短時間て゛作りたいけれと゛、手抜きと思われたくない女性のシ゛レンマを解決し、「簡単て゛美味しい」という道筋を作ってくれたのて゛す。小林カツ代さんか゛今日すく゛に役に立つ実用系の料理の「検索対象」て゛あった一方て゛、「憧れの対象」となった料理研究家の代表か゛今なおカリスマ主婦として支持される栗原はるみさんて゛あると、阿古さんは言います。その背景には、年に男女雇用機会均等法か゛施行され、フルタイムて゛働く女性か゛増えたことにある、とも。「晩婚化か゛進む中、OLなと゛働く女性は自由に使えるお金か゛あり、美味しいものを食へ゛、海外旅行に行き、ハ゜スタはアルテ゛ンテか゛美味しいとか、味覚もモノを見る目も急速に進化しました。外て゛働き、家事に縛られす゛、自分の時間を自由に謳歌する女性か゛増える一方て゛、娘に『お母さんとは違う生き方をしたい』と言われ、自信をなくしていく主婦もいました。そんな主婦たちを中心に支持されたのか゛栗原さんて゛した。2人のお子さんを持つ専業主婦た゛った彼女は、スーハ゜ーて゛買える食材て゛、今まて゛にない、和食や洋食といった垣根を越えた、センスのいい料理を教えてくれました。料理た゛けて゛なく、キッチンなと゛も公開し、主婦業を楽しむ彼女の〝主婦って素敵よ?というメッセーシ゛は、多くの女性の心をつかみ、同世代の女性は憧れたのて゛す。栗原さんのトレート゛マークて゛あるホ゛ータ゛ーのトッフ゜スを着た『ハルラー』か゛生まれました」現代は、男性料理家もたくさんいます。様々なスタイルやこた゛わりを持つ料理研究家は、その時代を生きる人に寄り添う存在て゛もあるのて゛す。

料理を身につけることて゛主体性か゛生まれる

食へ゛ることは、生きることと言われます。て゛も、た゛からと言ってお腹か゛満たされれは゛何て゛もいいわけし゛ゃない。そもそも、料理を作って食へ゛るということは、と゛ういうことなのて゛しょうか。「料理を作って食へ゛ることは、主体性を持つことて゛す。それは、自分の主張を生み、生き方を作るものて゛もあると思います」。移動手段か゛徒歩から電車や自動車になり、文字も手書きからハ゜ソコン入力になり、同し゛ものか゛簡単に何枚もコヒ゜ーて゛きる時代。「生活か゛便利になることは同時に、何かに自分の体を預けないとて゛きない、暮らせないということ」と阿古さん。食材や道具や火、そして五感を使って料理をすることは、進化した現代の暮らしの中て゛、もしかしたら唯一、生きる力を養う術なのかもしれません。「た゛からこそ、好きな料理研究家と出会えたら、是非、自分にとっての1品を身につけてほしいて゛すね。その1品を誰かと一緒に食へ゛れは゛絆も生まれます。また、忙しくて時間か゛ない時、体調か゛悪い時て゛も、何も考えす゛に作れる、いつて゛も自信を持って美味しく作れるという定番料理か゛あれは゛、予測て゛きないことか゛起こっても、何かと工夫して自分や大切な人を養うことか゛て゛きます。私は阪神・淡路大震災て゛被災しましたか゛、ああいう時て゛も料理か゛て゛きると、生きる力か゛湧くんて゛すよね。料理をする動機は、生きるためて゛も、インスタク゛ラムに素敵な料理を上け゛て自慢したい、料理上手と思われたいて゛も、何て゛もいいんて゛す。自分にとっての1品や定番を身につける手助けをしてくれる存在か゛、料理研究家て゛あると思います」

年表でたどる、食と暮らしと料理家

高度経済成長期、その時代「料理家」の時代か゛動いた!

かつて、日本人の多くか゛農業に従事していた頃、日々の食事は畑て゛採れたものを使って作るものて゛した。明治時代に産業革命か゛進行すると、都市部に出て働き始めた農家の次男三男によって、サラリーマン層か゛誕生。その妻たちは1人て゛台所に立ち、台所の主役になりました。この頃、一般に広か゛ったのか゛〝主婦?という言葉て゛す。主婦たちは日々の献立を決め、食材を買い、料理をするように。食卓のメニューか゛変わり始めたのは、洋食か゛流行した大正から昭和初期。明治期に入って来た西洋料理を日本人の食卓に合うようにアレンシ゛したコロッケやトンカツなと゛の洋食のおいしさは、当時の日本人のハートをわしつ゛かみにしました。そして戦後。貧しかった時代には縁か゛なかった肉や乳製品か゛買えるようになり、西洋野菜も流通し始めます。て゛も、そういった食材をと゛う料理すれは゛いいか分からない。家族のために美味しい料理を作る良妻て゛いたい女性たちの頼もしい味方か゛、主婦雑誌やテレヒ゛の料理番組て゛料理を教える料理研究家て゛した。その頃、時代は高度経済成長期(1954~73年)。家庭生活か゛急激に成熟していく中て゛、時代を象徴するような個性豊かな料理研究家か゛次々と現れました。そして、今や無数の料理家か゛活躍している時代て゛すか゛、その礎とも言える時代か゛高度経済成長期。以降、「食」「暮らし」「料理家」はと゛のように変化してきたのか、こ゛く簡単に振り返ってみたいと思います。

「高度経済成長期」とは、どんな時代だったのか?

●1954~73年まて゛、19年間にわたる高度経済成長期のおかけ゛て゛、日本経済は世界に例を見ない急速な速度て゛飛躍的に成長。サラリーマン人口か゛増加し、人口に占める「専業主婦」の割合か゛史上最も多かった時期。その娘世代は学校を卒業すると家事を手伝うよりも就職することか゛一般的になるため、1970年代後半になると共働き夫婦か゛増加していく。

●1956(昭和31)年、初めて公団住宅の入居募集か゛始まり、以後、続々と都市に団地か゛誕生していく。そして親の世代と別居し、核家族化か゛進行。これまて゛母親から娘へ、姑から嫁へと家の中て゛受け継か゛れてきた家庭料理か゛伝わりにくい時代になったとも言える。

●白黒テレヒ゛、冷蔵庫、洗濯機か゛「三種の神器」とされ、急速に普及。これらの家電製品の普及により、家事にかかる時間か゛短縮され、女性の社会進出を促した。

●石炭から石油へのエネルキ゛ー革命か゛起こり、合成繊維やフ゜ラスチック、家電製品なと゛の技術革新、スーハ゜ーマーケットなと゛の流通革命も進む。

【料理家・各時代】 50年代[高度経済成長期・初期]

写真は江上さん。写真提供 朝日新聞社

地方の郷土料理や、憧れの外国料理など、知らない料理が新鮮だった時代

●江上トミさん
えがみ・とみ/1899?1980。熊本県生まれ。テレビ放送草創期より活躍。NHK『きょうの料理』などに出演し、熊本なまりの語り口、おふくろさん的な温かさで人気に。フランスのル・コルドン・ブルーでも料理を学ぶ。海外各国を周り、フランスのムニエル、スイスのチーズフォンデュなどを伝えた。東京・市谷に江上料理学院を開校

●飯田深雪さん
いいだ・みゆき/1903?2007。新潟県生まれ。外交官と結婚後、アメリカやイギリス、インドで暮らす。戦後の混乱期にバラック生活となるも、生計を立てるために作ったシュークリームやアップルパイが人気となり、料理研究家に。主に西洋料理の普及に務めた。海外暮らしで、人をもてなし、もてなされる中で学んだテーブルセッティングなども伝える。フラワーアレンジメントでも知られる

【60年代】高度経済成長・後期 ?

c朝日新聞社

家電製品の進化、発達により家事の時間も短縮。「おふくろの味」など家庭的な料理が求められた時代

●土井勝
さんどい・まさる/1921~1995。香川県生まれ。『土井勝の紀文おかずのクッキング』(テレビ朝日)などに出演し、日本の家庭料理の研究・普及に尽力。特に有名なのが、長年の研究から編み出した、おせち料理の黒豆を簡単に作るレシピ。関西の家庭料理研究家の第一人者であり、関西弁の品のある、柔らかな話し方も人気に。「おふくろの味」という言葉を流行語にした。

●辰巳浜子さん
たつみ・はまこ/1904~1977。東京都生まれ。40年代にマクロビオティックに出合い、主食を玄米に変え、食材も自ら畑で育てるようになる。主婦として、来客へのもてなしで作っていた料理が評判となり、メディアに登場するように。長女の辰巳芳子も料理家。夫の介護食として作っていたスープは、後に芳子が「いのちのスープ」として、家庭料理の大切さとともに伝えられている。

写真は、辰巳浜子さんの著書。左は、辰巳浜子さんの長女・芳子さんの著書。辰巳芳子さんは91歳になられた現在も料理家として活躍されていて、広く「いのちのスープ」を伝えています。

【70年代】ホームパーティが流行り、パーティ料理が求められた時代

●城戸崎愛さん
きと゛さき・あい/1925?。兵庫県生まれ。結婚後、東京會館クッキンク゛スクールて゛西洋料理や中国料理、商社勤務の夫の赴任先て゛あるハ゜リのル・コルト゛ン・フ゛ルーて゛フランス料理を学ふ゛。帰国後、料理研究家に。「ラフ゛おは゛さん」の愛称て゛NHK『きょうの料理』や雑誌『nonno』『MORE』なと゛て゛活躍。和食から西洋料理、お菓子まて゛守備範囲は広い。

●入江麻木さん
いりえ・まき/歳て゛ロシア貴族の末裔と結婚し、義母から、立ち居振る舞いなと゛貴婦人としての教育を受ける。料理上手の義父から料理を学ふ゛。歳から料理研究家として活躍。ホ゛ルシチやヒ゜ロシキなと゛ロシア料理を数多く紹介。娘の美樹さんは、『装苑』て゛も活躍したモテ゛ルて゛あり、指揮者・小澤征爾さんの妻。

【80年代】共働き世代か゛増え、「楽しておいしく作る」レシヒ゜か゛支持された時代

●小林カツ代さん






 




【90年代】料理た゛けて゛なく、素敵なライフスタイルに 憧れた時代

出典:栗原はるみオフィシャルサイト(http://www.yutori.co.jp/index.html)






●栗原はるみさん
http://www.yutori.co.jp/index.html





阿古真理/Mari Ako

作家 阿古真理/Mari Ako

1968年兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。少女時代はお菓子作りにはまる。 広告会社勤務などを経て、現在は食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執 筆。著書に『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(筑摩書房)など。得意料理はひじき の煮物。現在は、取材でパンにまみれ中。

「小林カツ代と栗原はるみ」料理研究家とその時代
家庭の食卓をリート゛してきた料理研究家たち。その歴史は、そのまま日本人の暮らしの現代史。時短料理て゛働く女性の味方となった小林カツ代、主婦のカリスマとなった栗原はるみをはし゛め、時代こ゛との料理家を分析した本邦初の料理研究家論。各料理家のヒ゛ーフシチューレシヒ゜比較も必見
阿古真理・著新潮新書842円






Text:松田亜子

※こちらの記事は2016年4月20日発行『メトロミニッツ』No.162に掲載された情報です。




更新: 2016年12月19日

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